南禅寺

京のかたな後期まとめ

うえ~~い後期展示楽しんでる~~~???!?!?
京都から戻りました。現在無職です。いざなみです。

京のかたな展、後期展示に入って2週間が経とうとしています!
展示自体は2018/11/25までやっておりますので、まだ行けてないって人もまだ間に合う!

特別展 京のかたな-匠のわざと雅のこころ ― 京都国立博物館(2019年現在リンク切れ)

後期展示の最初の1週間、京都ステイしてほぼ毎日通いました。

▼前期のレポについてはこちらから

京のかたな前期まとめ(その1)

ということで、後期で見た刀のわたしの超超個人的な感想を書くつもりなのですが、もしかしたらそれがこれから見る人にとってなにかヒントとかとっかかりになるといいな~という気持ちでおります。

南禅寺
 

刀剣乱舞実装刀剣を見るのは課題曲を練習することみたいなものだと思っているのです。
どの曲もそれぞれの良さがあるけど、まあまず課題曲をよく聴き込んで練習することで他の曲へのとっかかりを見つけるよね、って思うのです。(中学時代合唱部でした)

じゃあ課題曲でもなんでもない曲を聞いてみるときに、これはこういう背景で作曲された曲なんだよ、とか、〇〇先輩が好きな曲だよとか、去年のコンクールで優勝した学校が自由曲で選んだ曲だよ、とか。そういうなにかしらのとっかかりがあると、なにもなしでいきなり聞くよりずっと「入る」んですよね。
そういうものになれたらいいな!のきもち!
だから軽い気持ちでお読みください!(つまり正確性について保証はしかねる!)

はいはいそういう感じでまた頭のほうから紹介するよ~~~

◆第一章 京のかたなの誕生(平安時代後期)

きたね!

●重美 太刀 銘有成(号石切丸)

刀剣乱舞のゲーム内では「大太刀」としてキャラクター化されていますが、実際の石切丸は大太刀サイズではありません。
(全長:99.8cm、刃長:76.0cm)
大太刀はだいたい三尺以上ですので…
これは奈良にだいぶ近い大阪にある、石切劔箭神社に奉納されているご神刀として「現存している石切丸」ですが、源氏の長男、悪源太と呼ばれたド強い男が振り回してたドでかい刀の名前も「石切丸」と伝わっていて、おそらくその両方の要素をミックスしたのが刀剣乱舞の石切丸なのだろうなと推測されます。

▼以前に石切さんに見に行った時の記事

嵐を呼ぶ!石切→福山→丸亀遠征(勝利B)

銘は有成。
この人物については「河内国の住人」であることしか記述が残っていないのですが、作風から京の刀鍛冶と関連があると考えられ、三条宗近が昔名乗ってた名前とか、親類縁者とかそういう説もあります。
個人的には昔名乗ってた名前説がなんかロマンがあって好き。

で、石切丸、肌めっちゃいいんですよ。
前見たときは「霜降り肉………」って思ったんですけど、まあそれでなんとなくわかってほしい。
でも今回、なんか「霜降り肉とは違うな?」って別の表現見つけようとよっぽどうんうん唸っていたのですが、
なかなかピタリとくる言葉は見つけられませんでした。
銀の砂子とか、テグスでないと通らない小さいビーズがざらっと入った瓶に手をつっこんだときの感覚とか、あとトリンドル玲奈とかを連想しました。

わかる人だけわかってくれ。すべてフィーリングだ。
(なんでトリンドル玲奈かって?なんかこう…白くて…くせがないけど個性があるというか…そういう…あと美人)

それから、なかごもじっくり見ると楽しかったな!
目釘穴が金で埋めてあるのですね。とっても大事にされてたんだね。

あとやっぱり課題曲同士なので三日月宗近と見比べてしまうのですが、三日月のほうがすごく長い時を経た、少しくたびれたような雰囲気を感じますね。肌がちがうね。
作られた時代的には同じようなものだと思われるのですが(このジャンルで百年は誤差の範囲だよ)、昔から高名でたくさんの人の手に渡った三日月は、やっぱりその分軽い修繕をする必要も多かったのかなと思います。

そう、三日月宗近ですが!
今回360度ぐるりと見れる独立展示ケースとなっておりますが、ついこの前から表裏ひっくり返して展示されているんですってね!!!!

▼これを読めばなぜこんなにビックリマークをつけるのかわかる

【京のかたな】で三日月宗近とへし切長谷部の裏側が見れるぞ!レアだ!!レアなんですよ!!見てね!! – Togetter

わたしが京都離れてから展示変更されたので、これどうしよっかな~~~また行くかな~~~~~金がな~~~~~~!!!ってなっているところです。

あと、360度だからこそだったんですが、ものうちのあたりの棟にうっすら誉れ傷があるというのを、今回初めて自分で確認することができました。

誉れ傷とは、戦いでついたと考えられる傷で、そのうちでも棟側についているものを指すことが多いです。
眼力のある方は「この誉れ傷のあたりから曲がってしまったのを修正したような軽微な歪みがある」というのまで見て取れているみたいなのですが、わたしはそこまではよくわからなかったな……
「さすがにこれを戦いで使う人おらんやろ……」って思っちゃう三日月宗近ですが、使った人、おったんですかねえ……

◆第三章 粟田口派と吉光(鎌倉時代前期―中期)

跳んで第三章。二章については前期の時とほぼ感想変わらなかったのでそっち見てくださいな。
まあわかるでしょ第三章。吉光なんで。好きなゾーンなんで。

吉光の前に!

●短刀 銘油小路忠家造/延文三年仲春

展示場所的には吉光の前なんですけど時代は南北朝時代なのでもっと下った時代になります。
粟田口の末裔と伝わる刀工なんだそうで。

これは前期から展示されていたもので、前期からなんとなくの違和感みたいなものをずっと持っていた刀なんです。
キャプションには「品よくまとまっている」とあったんですが、わたしは全然そう感じられなくて、
老人の顔した赤んぼうみたいな、そういうものを連想しちゃいました。
ベンジャミンバトンみたいな。
肌がすごく立っていて、それがなんだかしわくちゃの顔みたいで、それなのに小さい刀だから?
でもそういう短刀なんてほかにいくらでもあるのにこんな風に思ったことないもんなあ…

…っていう、ちょっとネガティブにとられかねない感想だったんで前期のとき書こうか迷って書かなかったんですが、なんかぞわっとするというか、「えっ?」みたいになるのだとしても、そういう感情に作用するようなインパクトを与えるってそれだけで十分すごいからすごいんだよな、ってことで書きました。

なんでだろうな、なんでこういう感想になるんだろうな…ちょっと自己分析したい。

●重文 短刀 銘吉光(名物信濃藤四郎)

やっほー久しぶり信濃!

▼じっくりメモを取った以前の鑑賞

信濃と五虎退に会ってきた~鑑賞レポの巻

信濃は後期の展示です。
致道博物館では毎回混みすぎない展示室でじっくりしっかり見れているので、そこから感想はさほど変わらなかったかな。
肌はルースパウダーはたいたみたいな赤ちゃん肌って感じ。
刃文はすうっと力まずに抜けている感じで、引目鉤鼻顔の平安絵巻の、眉墨のすっとぬける感じを連想します。

吉光の短刀はものうちのあたりで刃が細まっているものが多いのですが、図録では「手癖かのように言われるが、要は一番よく使われる個所が一番研ぎ減っているからではないか」ということに言及されています。
その点この信濃はものうちのあたりも刃がふくよかなんですが、ここはつまり「ふくら」の部分なんですよね。
鯰尾藤四郎が「鯰尾」という名物名を与えられた理由はその形状を指して「ふくらがふっくらしていて鯰の尾に似ているから」と言われるんですが、まあ信濃もふくらふっくささんなんですよね。

まあそういう姿の違いを見てみても面白いんじゃないかな~~!!
(個人的には刀剣乱舞実装の吉光でのふくらふっくらさんたちなんとなく性格似てるからふくらふっくら組のあざとさやばいなって思うし吉光もともと研ぎ減ってなければみんなこうなんだとしたらうわ~~こりゃ大変だわ~~みたいなこと考えたりするよ!!)

ふくらふっくらの話からのこの流れですよ

●重文 薙刀直シ刀 無銘(名物骨喰藤四郎)
●脇差 銘吉光(名物鯰尾藤四郎)

吉光部屋のトリがこの二振りでした。並んで展示されてました。うれしいな……

徳美に「400年ぶりだね兄弟!」を愛でにいった

2016年の夏ぶりの、並んでの展示です。
その時も見に行ったけれど、まあ人が多くて存在確認程度にしか見れなかったんですよね。
今回は平日の閉館間際のめちゃめちゃ空いてる時間とかにたっぷりじっくりしつこく見ることができました。うれしい。

ノート 鯰尾藤四郎 骨喰藤四郎
 

愛よ。

見てみて自分でまずびっくりしたんですが、
骨喰のイメージがだいぶ越前康継の骨喰に喰われちゃってる。
越前康継の骨喰写しは一階で展示中ですので是非ご覧ください。
あれは明暦の大火で燃える前の姿を元にして写したとされており、光徳刀絵図毛利本に残されている燃える前の骨喰とも似ているなって思います。
越前康継の骨喰はトーハク所蔵で、見る機会も写真を撮る機会もありましたので、そっちをだいぶしっかり自分の中に「骨喰」として刻んでしまっていたんですね。
本歌の骨喰を見るのはおそらく2016年の夏ぶりでしたので、それも多分にある。

▼トーハクで撮影した越前康継の骨喰

東京国立博物館 銘以南蛮鉄於武州江戸越前康継/骨喰吉光模
 
脇差 銘以南蛮鉄於武州江戸越前康継/骨喰吉光模
 
脇差 銘以南蛮鉄於武州江戸越前康継/骨喰吉光模
 
銘以南蛮鉄於武州江戸越前康継/骨喰吉光模

▼裏には波切不動が彫られています

脇差 銘以南蛮鉄於武州江戸越前康継/骨喰吉光模
 

こちらはだいぶ乱れの入った刃文なのですよね。本歌はもう少し直刃調で、でも明治古都館で展示中の2018年の骨喰写しよりは刃の幅が広かったように思います。

▼明治古都館に展示中の骨喰

骨喰藤四郎 写 宮入
 

いやほんと、今骨喰すごい手厚いですよ。
本歌が2階で展示され、燃える前に写されたものが1階で展示され、「吉光の作風を忠実に出したらこうではないか?」という最新の写しが明治古都館(刀剣乱舞コラボ展示をしている建物)で展示されています。
めちゃめちゃ手厚いからほんとめっちゃ見比べてそして心に傷を負ってほしい。

で、2年ぶりに見た本歌骨喰ですが、越前康継の写しに比べるとあきらかに直刃が強いのですが、きりっと一筋の線が伸びるのではなく、中腹で少しほどけたり、下のほうで煙になってしまったりします。
屈伸して角度を変えるごとにさらにほどけていく様子が見れます。万華鏡みたいで面白い。

それとやっぱ、どうしてもキャラと重ねてしまうところがあるので、そのほわほわと心もとない煙のような様子に、あの彼のおぼつかない感じを連想してしまったりね。してしまうね。オタクだからね。

ということを考えながらこじらせたオタクは後列でしつこく骨喰の肌や刃文を見ており、必然的にかなり長時間あの辺にいたんですけど、あの吉光部屋で男性人気圧倒的ナンバーワンは骨喰だったと思います。
まず名前かっこいいもんね!名前の由来になっている「振った真似をするだけで骨まで切れる様子」というのもなかなか「男の子ってこういうの好きなんでしょ?」をくすぐるところだよね!
そして形状が、ここまで続いてくる短刀とは明らかに違っていてわかりやすいし、彫りも明確な個性付けとなっていますものね!

わたしが骨喰を初めて見たのは2015年3月31日に行った大関ヶ原展での展示だったのですが(なんで日付まで覚えてるかっていうと学生ラストの日に学生料金を使って見たから)、そのとき刀そんなにわからないであろうミセスがすごく入念に骨喰を見て「これはすごい刀だわあ…」と言っていたのをよく覚えています。

さてさて、そのお隣で吉光部屋のトリを飾っているのが鯰尾藤四郎
なにせキャラクターとしての推しはこやつですので所蔵元の徳川美術館には展示される度にほぼ毎回行っているんですが、刃文の見やすさは今回の展示すごいいい!

徳川美術館は江戸時代、刀が現役だった時代の様子を極力残すために研ぎに出していない(化粧研ぎをしていない)そうで、
だから初心者は徳美の刀の刃文を見るのちょっと大変だったりするのですが、はっきりぱっきりきりっとした刃文が!とてもくっきり見えていて!
初見で「えっもしかして化粧した(研いだ)…?」とか思った。

ですがねー!わたし鯰尾の超ウリはあの肌のきれいさだと思うんですが、今回肌のきれいさを堪能できる角度が結局見つけられないで終わってしまって、みんな徳美行こうね!!!という結論となりました。

百日紅が咲いたから徳美に行かなきゃ~名刀紀行見てきたよログ

一番最近に徳美に行ったのはこの夏だったんですけど、この時ほんと肌のきれいさにびっくりしたんですよ。
やっぱりキャラクターとしての推しなのでひいき目があるというか、期待過剰にしてがっかりしちゃうのが嫌で毎回「いや言うてあれ一度燃えてるからな???刀として一度死んでるんだからな???期待しすぎんなよ」って自己暗示してから行くんですけど(こじらせてる)
そういうの跳ね飛ばす勢いで嘘みたいな美しさがあってほんと、これが、これが鯰尾藤四郎なんです………
という感動を味わったのですよね。(こじらせてる)

その、感動がね、味わえる角度を見つけられずじまいだったので、そこは今回はわたしには無理だったのでしょう。
あとそれ以外でとっても好きなのは、刃の中央部分のあたりで入る金筋なんですけど、これは「あるとわかって見る」と見つけられたので、ぜひ「あるらしいから探そう!」ってつもりで見ていただけたらうれしいなって思います!

ノート 鯰尾藤四郎
 

もにょもにょ~と、真ん中のあたりで揺らぐんですよね。
これがいい個性だなって思ってるんですけど、光徳刀絵図毛利本(一階で展示中です。まきかえあり。前期の最期の一週間はちょうど鯰尾らへんが展示されていました)を見る限りこれは燃える前にはなかったみたい。
というか光徳刀絵図毛利本での鯰尾の描かれ方、切れかけの極太マッキーでびーーっと引いたような線で刃文が表現されてて、見るたびに「手抜きじゃね?」って思うんですけど、同じところに記載されてる一期一振や骨喰藤四郎はすごく丁寧に刃文描きこまれているんですよね。
だから当時の鯰尾の刃文は、今みたいなはっきりぱっきりきりっとした刃文ではなくて、もっと匂出来というか、うるみのあるふんわりした刃文だったのかなあ?とか思います。手抜きじゃなければ。

そして後期になってこの二振りにも音声ガイド追加してくれていたのですが、共に薙刀直しであること、そして時期は違えど両方とも焼けて、それでもなお再刃されていることに言及されており、つまりはそこまでして「無くしたくない」と思わせる名刀だったのだな、ということが読み取れてわたしはとってもうれしかったです。

鯰尾
 

これはリアル鯰の尾の写真。びちびち。

あと今回の展示で、はじめて「鯰尾と骨喰って似てる」って思ったなあ。
きっさきのあたりだけ切り取って見てみると、菖蒲造りで刃文もその辺は割と似てて、ニコイチ感を感じました。
もっと手元のほうになるにつれそれぞれの造りの違いとか彫りとか刃文とかで個性分かれてくるんですけどね。

あとこの話も聞いてくれよジョニーって感じ。

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豊臣秀頼が好んで指したと記録の残っている鯰尾ですが、同時期に同じ家にいておそらく同じ人におべべこしらえてもらってる鯰尾と骨喰ほんとこれ、どうしてくれんのよって感じです。(こじらせてる)

それからちよさん(@TukaTiyo_0897)に教えていただいたのですが、金具=ハバキと解釈することもあるらしくて。
もしかしたら「骨喰の拵の金具」がはばきだとして、もしかしたら今現在刀と一緒に展示されているはばきがそれなのかも……?という夢も広がってくるところです。
(一度焼けてますし、外用の拵えのはばきとお休み用の白鞘のはばきとは違ったりしますし、その可能性がどれだけあるのか?っていうとあんまり高くはないかもなんですが、夢見るのは自由です!)

◆第四章 京のかたなの隆盛(鎌倉時代中期―後期)

謙信景光がもうないよ~~~!!って寂しかった。

●国宝 小太刀 銘来国俊

寸法が短いだけでなく、全体が太刀の姿のままで小さく作られている、と音声ガイドで言及がありました。
小太刀ってポジションなんやねん…というのがいまいちよくわからないのですが、確かに吉光の小太刀と比べると姿おもいっきり違いますね!っていうのとってもよくわかる。
これは神仏への奉納か、高貴な子どものお祝いのために作られたのではとのことでした。

よく徳美に行くので、春のお雛様の展示もここんとこは毎年見ているんですけど、お雛様の服って、全部人形用に織られているんですよね。
人間の服のための布をそのまま使ったりすると、例えば花柄とかだったらもう人形には大きすぎて小花柄が大輪のお花になっちゃいますから。
そういう、たかが人形のためだけに織られる布、というところに何とも言えないいとおしさを感じたりするのですが、この小太刀にも同じような感覚を覚えました。
だから子どものお祝いのための刀だったらわたしはちょっとうれしいな。

来のお部屋、前期の国宝揃いっぷりがすごすぎて後期はすこし落ち着いたような印象なのですが、それでもぐるぐるとみていると「これ国宝?なるほどわかる…」みたいに思うこと多くて、なんというか、国宝に選ばれやすい刀はこういうやつ、みたいなのがよくわかる部屋の気がします。
どの刀もそれぞれの美点があるのですけどね。
コンクールで賞取りやすい曲ってあるでしょ。毎年この曲歌うクラスが優勝するんだよねーみたいな。
そういうの見えてきます、まだなんとなくなんですが。

◆第五章 京のかたなの苦難(南北朝時代―室町時代中期)

長谷部部屋ですね。ジュークボックス部屋。(前期の記事を見てくれ)
今はへし切長谷部も表裏ひっくり返されて展示されているはずです。

●重文 短刀 無銘

ノート 無銘(信国)
 

不思議な彫りのある短刀。
信国のものだとされていますが、彫りが貞宗のものと似ており、この二人の刀工の関係が見える作品と言う点でピックアップされていました。
不思議だなあと思ったのは、彫りがはばき、柄の部分まで繋がっていることなんですよね。
すり上げてるのならこういうこともままあるのですけど(小龍景光なんかそうですね)、短刀ですし、すりあげるってことあるのかなあ?
でもいま図録見てみると刃の焼きがけっこう下のほうから入ってるので、やっぱりすりあげてるのか…?

うん、すりあげてるのかどうかよくわかんないんですけど、
もしすりあげとかしてないで元からこの尺だとして、はばきの下に隠れた彫りって、なんだかひっそりと隠された願いとか、祈りみたいで、そうだとしたらどういう思いが託されてたんだろうな、とか考えてました。

◆第六章 京のかたなの復興(室町時代後期―桃山時代)

ここでは前述した骨喰写しがあるのでチェックしてくださいね!

●重文 光徳刀絵図(毛利本・文禄三年)

鯰尾骨喰のあたりでも言及した光徳刀絵図ですが、巻替えありで通期展示されています。
わたしがいた期間で言いますと、前期のラスト一週間は鯰尾、骨喰、一期一振のあたりが、後期の最初一週間では日向正宗が見れる部分が展示されていました。
休館日の月曜に巻替えをしているみたいなので、行く方はその時々で見えるものをよおく見てみてくださいね!
たぶんそれなりに審神者を意識した部分を展示してくださってるのではないかと思う。

●秀次公縁起絵巻

真田丸見てた人たちは秀次事件のことビビットに反芻できるんじゃないかなと思うんですが…
秀次事件のいちばんえぐい場面がちょうど展示されているのでぜひじっくり見てください。
これはキャプションも充実してるし色も鮮明で見やすいし、絵巻物見慣れない人も理解しておもしろく見れるものだと思う。

とてもえぐい場面。

●重文 刀 銘本作長義天正十八年庚寅五月三日ニ九州日向住国広銘打/天正十四年七月廿一日小田原参府之時従屋形様被下置也長尾新五郎平朝臣顕長所持

前期の記事で言及したものには基本的に今回の記事では触れないのですが………
まあ触れますよね時事ネタですからね

この刀に関しては、所蔵元の徳川美術館で見るよりも刃文すごく見やすいと思います。
個人的には一つ前の刀のあたりから、斜めに見るとすごくきれいに刃文に光が乗ると思ってます。(スペック身長158cm)

この本作長義と山姥切国広、姿はほんとほとんど一緒なんですよ。
●国広
長さ:70.60cm
反り:2.82cm
元幅:3.33cm
先幅:2.97cm
●長義
長さ:71.3cm
反り:2.4cm
元幅:3.41cm
先幅:2.99cm

(データはこちらと図録参照です)

山姥切国広 | 日本刀や刀剣の買取なら専門店つるぎの屋

ミリ単位の誤差。

刀の反りって、刃文を作るための土置きがあり、土置きをした状態でそれを冷却水で急速に冷やし、その際に刃文が作られるのと同時に鉄に炭素が混入することで膨張し、それによって反りができる…ということらしいのですが(理解違いしてたらごめんね)、反りをさ、叩いて曲げるとかならまあやり直しきくし「これでいいかな~ん~もうちょっとか~」みたいな調整できるだろうなって思うんですけど、冷やすことで膨張してそれによって曲がるって、それ調整するとかそういうのゼロじゃないですかそれでこの一致具合国広の腕やばくない????ってところですよ。

国広:天正十八年庚寅弐月
長義:天正十八年庚寅五月三日

と銘があり、これはあくまで銘を入れた日なのですりあげをされたのはいつなのかはわからないのですが、国広が本作長義に銘を入れたのと同時にすりあげをしたとしたら山姥切国広のほうが先に作られて、それに合わせて本作長義のほうをすり上げたって流れになるんですよね。
個人的には「そういうことする……?」思うし先にすりあげはしてたんじゃない?そのほうが自然じゃない?とか思うんですが、まあわたしこの辺の細かい研究資料とか読んでないんでね。
まあこれからこの辺盛り上がると思うんでそのうち誰かがまとめてくれたやつがTLに流れてくるんじゃないかな!
お前らのそういう国会図書館に行くタイプのオタクっぷり大好きだよ!

という、旬の話題に一応言及しましたというやつでした。
銘読むの結構難しかったけどじっくり見れるタイミングで見れそうな人は解読してみるのも楽しいと思う!

●重文 刀 銘山城邦西陣住人埋忠明寿(花押)/慶長三年八月日他江不可渡之

これは今回の展示の広告にも結構登場してる刀ですね~~
彫りが不動明王と梵字、それから倶利伽羅龍と、ぱっと見骨喰かな??って思っちゃう刀でもあります。

今回長く京都にいたので、それなりに観光もしたんですけど、
いま仁和寺で五大明王の絵が特別公開されていて、それを拝観したときにいろいろお話聞かせてくれて、それで知ったことが今回ここにリンクしてとっても面白かったんです。

軍荼利明王
 

これ、仁和寺でいただいたパンフレットに載っていた軍荼利明王という明王さまなんですが、後ろの炎、少し鳥みたいに見える部分があるのわかりますか?

迦楼羅焔(かるらえん)と言うんですって。

迦楼羅天 – Wikipedia

上のwikiページにも書かれてるんですが、火の鳥として不動明王の背後に描かれることがあるのだと仁和寺でお話聞かせてもらいました。
普通は不動明王の後ろの炎で描かれることが多いみたいなんですが、仁和寺では軍荼利明王に描かれてるみたいです。

で、それを踏まえてこの埋忠明寿の刀を見ると、火の鳥っぽく炎が彫られてるの見てわかったんですよー!
こういう、知識と知識がつながる瞬間まじ脳みそからよだれ出るわ最高だよね………

それから、ちょっと不動明王について知識が増えたところで、
そういえば我々が見知ってる倶利伽羅龍って剣に巻き付く龍で、剣は不動明王が持ってる三鈷柄剣だけど、龍ってどっから来たの?
って疑問が起こって軽くググってみたました。
不動明王は右手で剣を持って、左手で縄のようなものを持ってるんですが、この縄のほうを龍として表現してる、というのを見つけて「なるほどー!」ってなりました。
(旅行中に確かにそういうサイトを見つけたんですが今探しても見つけられない…微妙な解釈だったらごめんね)

梵字も調べるとそれぞれの意味や願いがありますし、仏教的な知識が増えると刀を見るのもまた楽しくなるのかなあって思います。
現代日本で宗教は忌避されがちだけど、でも文化の土台になっているということは本当に確かなのだものね。

●短刀 銘伊賀守金道

このくらいの時代になると、戦が遠ざかり、美術刀剣のブームが起きます。
美術寄りの刀剣で代表的な技巧はいくつかあって、わたしは助広が作ったとうらん刃がとっても大好きなのですが、
そのとうらん刃とよく並べられる美術寄りの刃文の技巧が「すだれ刃」

簾刃とは – 刀剣用語 Weblio辞書

この金道は、そのすだれ刃を完成させた吉道の兄で、すだれ刃の萌芽が見られる作を残しています。
というのが見られるのがこの短刀。
わたしは、満月だけど雲が出てる夜に、月を遮るように雲がかかる、そういう空の様子を思い出しました。
光を当ててスライドさせるのがとても楽しい刀だった。

イメージカット 月
 

こんなかんじ。

◆第七章 京のかたなの展開(桃山時代―江戸時代前期)

とうらん刃の話題出したところからの助広です。

●刀 銘津田越前守助廣 延宝三年二月日/井上真改 延宝三年二月日

助広がすきー!!って話は今までもいろんな場面でしてるんですが、これ銘がめちゃめちゃかわいいので見てください。
これは合作の刀で、助広ソロの刀も隣にあるんですが、銘のかわいさはこっちが勝つ。
延宝の「延」の字がほひゃ~~~って勢いでかわいい。かわいい。

◆第八章 京のかたなと人びと(江戸時代中期―現代)

●重文 太刀 銘□忠(名物膝丸・薄緑)

となりに兄者はもういないけど同じ北野さんの刀がいてくれてるほにゃ忠(膝丸)。
髭切膝丸同時展示のときは本当にすごく混んでてなかなかじっくり見られなかったのですが、今回割と落ち着いてきていたのでじっくり見れました。

ノート 膝丸
 

それでやっとじっくり見たところでびっくりしたんですけど、きっさきの刃がすっごく少ないのですね!
最初からこうではなく研ぎ減りだろうとは思うんですけど、けっこうギリギリでちょっと息止めちゃうような様子してました。

あとあるとき隣で見てた外人さんたちが英語キャプションを見て「ニーカッターwww」とウケてたのがこっちもつられてにやにやしちゃった。
英語キャプション、全部についてるわけじゃないんですがあるやつは独特の表現してたりして面白いのでぜひ気にしてみてくださいね。

●重文 太刀 銘北野天神豊臣秀頼公御造営之時/干時慶長十二丁未十一月日信濃守国広造

銘がなげ~~~~~国広これだから~~~~~~
北野天満宮の国広です。11/11までの展示。
これは秀頼さまが奉納したもので、秀頼さまがだいたい13歳ごろの年のようです。
また、同じ年の11月に神社全体に寄進をしているという内容の木札?が北野天満宮に残されています。

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北野天満宮も宝物展示してますのでね。髭切展示されてますので。

北野天満宮
宝物殿特別展「国宝 北野天神縁起絵巻と宝刀展Ⅷ」 北野天満宮 

わかっていらっしゃるって感じ。
こちらで上にあげた木札的なやつも見られますので、ご興味があればどうぞというところなんですが、さてこの秀頼奉納の国広、す~~~~ごくキレイ系なんです。
国広ってドーン!ガーン!みたいなところ結構あるんですが(肌的にも刃文的にも)
これはほんと綺麗なジャイアンみたいな勢いで綺麗。
博物館内に国広は何振りもありますので、これはほかと違うな~~~って感じながら見るのもいいかもです。

●重文 剣 銘尚宗

前期ではクリスが展示されていたケースに展示されています。
豊臣秀頼の幼くして死んだ兄のためにつくられた剣です。
心にダイレクトアタックされるタイプのひとはされちゃうやつです。
ていうか後期になって急に豊臣まわりの情報がぶあーーっと増えたような感覚あるわ……

●橋弁慶山牛若丸人形

これ、わたしが見つけられてないだけだったらごめんなさいって話なんですけど、これどこで固定してるの……?
一本足で立ってる大きな牛若丸の人形なんですけど、こういうの普通テグスとかで固定してること多いと思うんですけど、そう思ってぐるぐる360度回りながら目を凝らしてもテグスにしても他のなんらかにしても固定するものを見つけられなくて「えっこれ作品そのもののバランス感覚だけで立ってるの?」ってうそお~~…って気持ちになってたんですけど単に見つけられてないだけかもしれない。
いえ、最近作られた作品ならすげ~~テクノロジ~~って思って納得するんですけど、作られたの室町時代って書いてあるし。一本足で重心どこなの!?みたいなお人形だし。
すごっ…すごない?いえこれで実はしっかり固定してますよだったら着席するだけなんですけど……

●直刀 銘傘笠正峯作之/戊辰年八月日(七星剣写し)

前期は大包平写しのあったところがこれになっていました。京のかたな展全体の大トリ。
音声ガイドのストーリー的にラストが平成の大包平ってすごすぎる…と思っていたのですが、後期からは大包平からさらに時代を遡った七星剣で刀の祖の祖にたどり着いて終わる、というストーリーに変わっていて美しかったです。
刀身に金象嵌でほどこされた絵が見ていて飽きないものでした。

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さてさて、昨日の夜から書き始めて深夜に一度フリーズして「おわった~~~~!!!もうだめだ!!!」となっていたのですがテキストで保存していた分だけがどうにか生きてて翌日遅く起きて最後まで書き上げた今回の記事いかがだったでしょうか(長い)!!!
全面的に個人の主観ですし、フィーリング多くてわかんねえよ!って部分も多々あると思うのですが、知らない曲をいきなり聞くよりも「〇〇さんが話してたやつ」程度にとっかかりがあるほうがちょっと気を付けて聞けるものなので、そういうとっかかりになれてたらいいなあくらいの気持ちです。

長々と書きました!京博おかわりしにいきたいけど無職なんですよね!お金ね!たくわえがね!
福山もどうにか行きたいし行きたいけど生き抜けるのかってところ!
(無職なんですよ、なんか仕事あったら紹介してくださいね、なにか書く仕事ができたらいいなって思ってるんですけど経験ないしなかなかね)

というわけでなにかの足しになっていたら幸いです!
ここまで読んでくださってありがとうございました!

京のかたな展番外編 かたな展以外の京都のいろいろ