どうして感染拡大するんや世界!!!
この三連休、夜は仕事せにゃならんのですが、そのぶん昼間はあっちこっちで文化満喫するもんね〜!!!美術館と映画とカフェと!!!って考えてたのに頓挫したいざなみです。
仕事しか残らない悲しみの三連休……にしないために、ちょっと四谷をお散歩してきました、という半日のレポートです。行った日は2020年11月21日(土)。
信濃町から徒歩10分、四谷正宗の墓地へ
新宿で乗り換えて信濃町で降り、そこから徒歩10分程度の場所に宗福寺というお寺があります。四谷三丁目で降りても同じく徒歩10分くらいの距離。
四谷正宗の異名を持つ名刀工源清麿の墓があります。
新宿観光振興協会 宗福寺
清麿は信濃国(長野県)小諸の藩士山浦信風の次男で環といい、文化10年(1813)3月に生まれた。信濃国上田の刀工河村寿隆の門に入って鍛刀を学び、やがて江戸に出て幕臣窪田清音に師事しました。のち四谷伊賀町稲荷横丁(現在の三栄町辺り)に住み、名を源清麿と改めて、名刀を打ち出しました。世の人は「四谷正宗」と呼んだ。清麿の作風は、相州伝、美濃伝に属する力強いもので、作品の一部は刀剣博物館や国立博物館に保存されています。
四谷に根ざした刀工ということで全面的に清麿がプッシュされていますが、同じお寺に水心子正秀のお墓もあります。
というわけで行ってきたよ〜!
ついたな〜と思ったら、
門の前にいきなり案内看板あるし(これ今年の2月にできたんだね、新品じゃん)、
その後ろにいきなり石碑がありました。並んでるし。仲良しかよ。
門扉があるのでたぶん夜になると閉まっちゃうと思うんですが、石碑だけなら外なので24時間365日見にこれますね、会いに行ける刀工(墓)。
境内はそこまで広くなく、地域の菩提寺という感じ。
こんな感じで水心子と清麿はマジの墓石もお隣同士らしいのですが、やっぱり地域の菩提寺感が強いので探し歩くのは遠慮しておきました。お堂だけ軽くお参りして墓参りしたことにした。
清麿、水心子のほか刀剣学者の内田疎天もここに墓がありますが、この人は清麿を崇拝して遺骨をここに埋葬するように遺言したとのこと。清麿ガチ勢。水心子の墓は深川木場の寺で無縁扱いにされていたのをここに移した、とのことです。
11月14日の清麿の命日と、9月27日の水心子の命日には墓前祭が行われているそうなので、気になる方は情報収集のうえ参加してみると良いかもしれません。
参考:新宿観光振興協会 宗福寺
四谷の名物といえば・・・?
宗福寺を後にして少ししたところでこの案内が出てました。次はこの須賀神社へ向かいます。
秋晴れのいい光が射しています。
御由緒によると、もともとお稲荷さんだったところにスサノオノミコトとかを合祀するようになったとのこと。
社紋が三つ巴と稲だったのですが、なるほどお稲荷さんの稲にスサノオを組み合わせたのかな、三つ巴って水系だし、スサノオも嵐系の神様だし……などと思いました。
宝物のほとんどは戦時中に焼けてしまったものの、三十六歌仙の絵だけは残ったとのことで、それが紹介されています。
で、この神社ってコレが有名なんですよね。
「君の名は。」っ!!
いや、もともと「四谷ならパッと行けるし屋外だから感染関係ないっしょてんえどの墓行こっ!」と思って、それだけだったんですよ。場所の確認のためにgoogle map見てたら「アニメ映画に使われた階段がある」って紹介文が出てて「あ、ここなの!?」ってなった。まじで近いです。地図上では徒歩3分。
須賀神社は清麿の生まれた頃から今と近い形であったみたいなので、四谷で作刀した清麿はここをお参りしたこともあったかもしれないですね。
あとてんえど組が君の名はを見たら、ラストシーンで「あれっ!?知ってる!!!」ってなるのかもな、とか思いました。楽しいね。
清麿の死から14年後
さて、ここからほど近い場所に「伝・沖田総司逝去の地」があります。
徒歩で15分程度の距離なので、近所と言って差し支えないでしょう。清麿が自死したのは1854年、沖田総司が死んだのは1868年。清麿の死の14年後です。
須賀神社から沖田逝去の地に向かう道中には、勝海舟が命名したという剣道場があったりした。
石碑などもなく、ただ案内の看板が立っているだけです。
沖田総司の死地はここのほかに浅草説もあるそうですが、わたしはその辺り詳しくないので語らないでおきます。
参考:新選組観光なび
清麿と沖田総司、この二人が関わったことはほぼない……いや局長の刀が本当に清麿だった場合は間接的な関わりがあるけど、まあ直の関係はないだろう、けれどほぼ同じ時代に、ほぼ同じ場所で……と思うと面白いなあ。
ここまでくると新宿御苑もすぐそばです。
この後は千駄ヶ谷駅まで歩いて、駅横のエクセルシオールで早めのお昼ご飯食べてから帰宅しました。余力があれば新宿まで歩いて買い物とか映画とかもいいかもね、って感じ。
という感じで信濃町駅をスタートに3箇所を巡って、所要時間は40分程度でした。「ちょっと四谷で時間空いたからお散歩しよ〜!」って時にちょうどいいかもしれないです(そんなことある???)。
清麿が刀を打った場所を感じに、あるいは沖田総司の最期に思いを馳せに、都心でお散歩してみてはいかがでしょうか。
あと誰かてんえどマップの「このマスは今スタバ!」みたいなマップ作ってくれないかな。わたしが喜ぶので。
っていう秋晴れのお散歩の日記でした!!!!
これから!!!!仕事だ!!!!!