典太光世って書いちゃったけど三池光世の方があってんのかな。まあ画像作り直すの面倒なのでこのまま行っちゃうんですけど……
仕事で久留米に来ておりました。仕事を終えて東京に戻りますが、遅い時間の飛行機にしたので、この機会になかなか行けない場所へ向かってみます。福岡県大牟田(おおむた)市、三池エリアです。
西鉄 新栄町駅へ
西鉄の久留米駅から出発しまして、向かったのは新栄町駅。特急が停まる駅なので所要時間は30分くらいです。駅から4分くらい歩いたところにある旭町バス停から、高泉団地というバス停まで移動します。
こちらが旭町バス停の時刻表なんですが……乗るのは4番の三池中町ゆきなんですが、まあそうですよね〜って感じの時刻表となっております(1時間1本以下)。とはいえ、バスが通っているだけありがたいです。
なんせ、
この雨ですから…………………………
まいったねーこりゃ(乾いた笑い)って感じで旅に向かっております。バスを待っている間、ご婦人が隣に座ってきて「銀行に行ったのに今日休みだったのよ(祝日)」なんて話をして、しばらく休憩したら去っていきました。訛ってらしたなあ。「夕方からは晴れるらしいよ」って言ってたけど、本当にい?って思うような、雨。
の中をバスは10分走行しまして、高泉団地のバス停に到着。ここが本日最初の目的地です。
三池典太屋敷跡
この辺りは大典太光世、ソハヤノツルキウツスナリなどを作ったと言われる刀工・三池典太光世の活動地として知られます。
高泉団地バス停から徒歩2分、住所で言うと「大牟田市歴木227」のあたりに、むかし三池典太光世の屋敷があったとか。わたしは住所を大牟田市に問い合わせてお聞きしましたが、現在は個人の所有地となっており、何か石碑がある、ということもありません。
「現在は空き地になっている」とのこと。まあだいたいこの辺なんでしょう。よくわからんけど。
そんな感じでふわっとしてますので、何となくその辺を歩いてみる。
なにやらお地蔵さん的なもの。ちゃんと見れば年季とかあっただろうけど、なにぶん雨であんまりじっくり見れなくて……
ちょっと奥に行ったところに神社がありました。地図上で確認したところ、高泉天満神社というらしい。
石段が滝。
典太光世の時代からあった、とは思わないけど、それに連なる人々の祈りには触れたのかもしれないな、なんてことを思う。
白線から落ちたら地獄な!(飛び石から落ちたら靴が死亡な!)
近くにはスーパーがあります。
せっかくなのでちょっと寄り道。
福岡に来たらマンハッタンだぜ(プレミアムがあった)。
甘木熊野神社へ徒歩50分
次は三池典太墓所と伝わる場所へ向かいます。甘木熊野神社のそばにあるとか。ですが現在地から向かおうとするとバス+電車で40分、または徒歩50分。……そうなるとまあ、面倒だから歩いちゃうんだよね。雨だけど。
雨だけど、歩くのは良いものです。先ほどのスーパーの脇に川が流れてるんですが、もうちょっと歩いたところにも川がありました。屋敷跡はちょうどその2つの川に挟まれたところにあって「そっか、それじゃあ水には事欠かないんだ」なんて考えながら歩く。もちろん当時から地形が変わってる可能性はありますが、刀づくりに必要な水に困らなそうな場所、ってことは推測できます。
それから、お城の跡もありました。現在は神社になっている「大間城跡」は、鎌倉時代後期から活躍した三池氏の居城。
典太光世は平安後期なので時代は被りませんが、のちのち軍事拠点が作られるようなエリアで刀を作ってたんだ、ということも知れました。
雨の中50分の散歩、なかなか酔狂な遊びではありますが、歩くからこそ見えることがあるから楽しいです。
住宅地の合間を縫うように歩いてきましたが、徐々に畑が、そして山が見えてきます。
わー、いかにも山だなあ……
「甘木熊野神社、地図的にはそろそろなんだけど、普通に行けそうな場所なんだろうか、なんか民家が続いてて山の方に行けそうな道ないんだけど」……と思ってたら、
あった。
甘木熊野神社
きちんと石灯籠が参道を知らせてくれている、甘木熊野神社。とはいえ普通の住宅に挟まれた細い道です。ここ、車で来たとしても停める場所ないだろうな。
青江の井戸に行った時を思い出すような道。あの時はgoogle mapの表示が間違ってて、最初民家の私道に入っちゃったんでした。今回は大丈夫かな……と身構えながら歩く。
本当に青江の井戸と雰囲気が似てます。石段がある分、ちゃんと神社っぽさはある。
ジャスミンみたいな匂いがする、と思ったらクチナシの花でした。
香り高い小径。右側は空き地のようになっていて、その向こうは畑になっています。
「出征軍人中」と表に彫られた灯籠。明治のものでした。
私有地侵入しちゃってないか……という緊張と、雨で普通に足元が悪いっていう緊張を感じながらゆっくり小径をたどります。緊張感とともに辿ってきた道だけど、ここにきてさらに緊張する。
なんか、雰囲気が、すごくて。
(足元デンジャラス度もすごい)
これは楼門で良いのかな、こういう作りの見たことない。
手すり付きの石段が続いているし上がって良い……んだとは思うんだけど、身を低くしないとくぐれないしめ縄をくぐる(傘があるとさらに難易度が高い)。
注意深く上がった先には、「なんだお前は」と問いかけるような狛犬さんと右大臣左大臣さん。
こちらも明治の年季が入っていました。
後で気づきましたが、本殿と本殿のある一帯の写真ひとつも撮ってませんでしたね。石の皆さんを撮らせていただくのでいっぱいいっぱいで。
雨で物理的な難儀があったこともあるんだけど、それ抜きにしてもなかなかない雰囲気の場所で恐れ慄いてしまっていました。お参りはちゃんとしました。
墓標を探す
さて、この辺りに典太光世のお墓があるそうなのです。でじたろうさんのツイートを頼りに探してみます。注意深く石段を降って、鳥居を背にしたところで……
あ、なんか石ある!
一応道はあります。石畳が敷かれていた参道と異なり、こちらは踏み固められた道という感じですが。
これ、では、ないでしょうか!
典太光世墓所
これ……たぶんこれ、ですね。なにせ何も彫られていない石ですので、確証がないですけど。違ってたら笑ってください。
(でじたろうさんの写真に写っている屋根と山が見えず、本当にこれか……?となったものの、おそらく木に隠れてるところのおうちが例の屋根なのでたぶん同じだとは思う)
見てわかるように、めちゃめちゃ畑のすぐ横です。どこまで神社の土地でどこから私有地なのかもよくわからないような場所。ていうか私有地なんだとは思います。
というのも、以前大牟田市に墓所の場所を聞いた際「土地の所有者の意思と、時代考証が確定していない(いわゆる伝説である)ことから、市としては具体的な住所を案内をしていない」という回答を受けていました。まあ大牟田で行われた刀剣がテーマのツアーでここもルートに入っていたと聞くので、完全に秘匿しているというわけでもないとは思うんですが。
……という場所なのです。本当にひっそりとした場所にある墓所(伝)。ですので訪れる方はお行儀よく、他者の生活を侵害しないようにくれぐれも留意していただければと思います。例えば雨の日にひとりで歩いて行くとかね(アホ)!
(いや、雨の日は普通に大変だからやめたほうがいいかな。もちろん夜も。灯りなんてないし)
そんな「三池典太光世の眠る場所(かもしれない)」でした。
おばちゃんの言うことは本当だった
ここから西鉄 東甘木駅までは徒歩10分程度。
東甘木は特急が停まらない駅。その上各停の電車の便は少ないので、ここから久留米方面に行くなら一旦(反対方向の)新栄町駅に出てから急行に乗るのが早いです。
無人駅で電車を待ってるうちに雨が止んだ。
旭町バス停のご婦人の言っていたことは本当でした。
4時間、大牟田さんぽ
今回のタイムテーブルはこんな感じでした。
11:02〜11:31 西鉄久留米→新栄町町
11:54〜12:04 旭町→高泉団地(バス)
→徒歩2分 三池典太屋敷跡(大牟田市歴木227)
12:40〜13:40 徒歩50分 歴木227→甘木熊野神社(三池典太墓所)
14:00〜14:10 徒歩10分 甘木熊野神社→東甘木駅
14:17〜14:53 東甘木→新栄町→西鉄久留米
ホテルで荷物ピックアップ→空港へ
まあ実際は1時間くらい早く行動スタートしたので、全部終わって西鉄久留米から空港行き高速バスに乗ったのは13:30。博多あたりを起点にしてもプラス2〜3時間くらいでまとめられる行程なんじゃないかな?と思います。
なお今回は西鉄を使っていますが、JRでもできないことはない(この辺りは西鉄とJRの線路が近いところを通っているので)。でもJRの方が駅の位置的に歩く量が多いと思います。詳しくは自分で調べてね!
そして重ね重ねとなりますが、屋敷跡・墓所(伝)ともに静かな住宅地の中の私有地です。くれぐれもお行儀良く、そこで暮らす人の生活を脅かさないようにそっと訪ねていただければと思います。いつか歩きたいなと思ってたので、今回(雨で大変だったけど)行けてよかった!
ここまで読んでいただいてありがとうございました!
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