お仕事で函館に来ております!中日に1日だけまるまる自由に使える日があったので、この日を利用して函館市内の土方歳三関連史跡を回ってみました、という日記。行った日は2023年7月15日(土)です。
函館市電を駆使して回る
画像出典:函館市
函館市内ではバスや市電(路面電車)が走っており、いずれも小銭や交通系ICで乗車が可能です。その中でも市電は、路線がシンプルな上そこそこの本数も確保されており、利用しやすい。運賃は距離に応じて200円〜300円くらいなんですが、今回は市電の1日乗車券(600円)を使用して回ってみました。
乗車券情報・時刻表などはこちらから
8:40、弁天台場へ
函館駅前のお宿を8:15ごろに出発して、向かったのは市電の終点でもある「函館どつく前」。「どつく」ってなんやねん!って思ったんだけど、よくよく電車内のアナウンスを聞いてると「ドック」と発音されています。ああ、船の用語としてのドックね!と納得。
この「函館どつく前」を降りてすぐの公園にあるのが、この石碑。
石碑の近くには「弁天岬台場跡」の案内看板が出ています。
榎本武揚・土方歳三ら旧政府軍が戦った箱館戦争。当時、ここには五稜郭と同じ設計者が作り上げた台場(砲台を有する要塞)がありました。箱館戦争における重要な拠点のひとつだったんですが、戦況が佳境になっていく中で、旧幕府軍の一部がここに孤立してしまいます。土方歳三はそこへ救援に向かおうとして、辿り着く前に戦死してしまうんですよね。
弁天台場は箱館戦争の30年後に港湾改良で取り壊されてしまったため、現在は当時の姿を見ることはできません。
ここからちょっと(まじでちょっと、5分かからないくらい)歩いたところに、弁天台場跡の看板が建ってます。
「函館どつく」は会社名なんですけど、この看板は函館どつく株式会社の門のすぐ前。ここより先は私有地なので入ることができません。海が望めたら台場っぽさをもうちょっと感じられただろうけど、それも難しい感じでした。
9:20、一本木関門
「函館どつく前」から「函館駅前」に戻って、そこから徒歩10分ほどの場所に「土方歳三最期の地」の石碑があります。
今回は市電+徒歩で移動したけど、オール徒歩だとしたら40分くらいの距離。
土方歳三が没したとされる場所は諸説あるらしいんですが、その中でも一番知名度が高いのが、この若松町近辺。石碑があるのは「若松緑地」という小さな公園で、「函館市総合福祉センター」の前庭みたいな場所です。
その小さな公園の一角に、
関門を模したものと、石碑があります。
ここから弁天台場まで徒歩40分。馬がチャリくらいの速さだとして、移動所要時間は20分くらい。……あと20分走れば目的地と思うと、なんか本当「あとちょっと」ですよね。「あとちょっと」の距離が越えられなかったんだな。
史跡ってひとつひとつはまじで「石しかない」ってなりがちなんだけど、こうやって「めぐる」ことで距離感を感じられる、それが楽しいなって思う。
10:00、五稜郭タワー
「最期の地」から函館駅前まで戻ってもいいんですけど、同じ距離で「新川町」の駅があるので、そちらに移動。徒歩10分くらいです。そこから市電に乗り、「五稜郭公園前」で下車。
さすがに代表的観光地なので、あちこちに案内があります。Google mapを開くことなく、五稜郭タワーに到着。
着いてみて、エントランスの広々さにびっくり!
ちょっと温室みたいな雰囲気です。
なかなか魅力的なホットドック(ホットじゃない)などがある。いやそれもう手巻き寿司でいいじゃん!笑
エントランスの土方さん。
まあまあ日野の兼定っぽい拵な気がする。
展望台チケット売り場の前には、ちょっとした歴史紹介パネルもあります。
みんなきっとどこかで見たことある、「戦友姿絵」。
って、これ、弁天台場で描かれたものだったんですね。
「戦友姿絵」を描いた元新選組隊士・中島登は「ミュージカル刀剣乱舞」にも登場したので、ご存知の方も多いと思います。彼は晩年静岡県浜松に居住して「中島鉄砲火薬店」というお店を営んだんですが、その跡地を過去に訪問しています。ご興味あればどうぞ。
さて、展望台へ。チケット購入時に函館市電の1日乗車券を見せるとポストカードをいただけます。
よくわかんねえけどエレベーターですげえ光った。
(乗り合わせた人の服のボタンとかも同じように光ってたから、素材か染料か何かによって光っちゃうんだと思う。下着がめっちゃ光って透けるみたいな事故が起こりそうだなと思った)
ヘイ、五稜郭!
箱館戦争の際には旧幕府軍の拠点となった五稜郭。わかっちゃいたけど見事に星の形です。今は緑のお星さまですが、春は桜、秋は紅葉、冬は雪と、四季折々の色を見せてくれます。
展望台にも五稜郭の歴史を紹介するコーナーがあります。
やっぱり現地で説明パネルを読むのが一番理解が捗るんですよね。弁天台場→一本木関門→五稜郭の順で巡ってきましたが、その位置関係を知ってるからこそ「ここでこれが起きた」が頭に入りやすい。
ちょうど良いパネルがあったので、弁天台場・一本木関門・五稜郭をマークしてみました。五稜郭を拠点として弁天台場に向かおうとしていた土方歳三は、しかしその手前の一本木関門で没した。そういう流れね、と(ここでようやく)わかる。
透けてる床もあります。
展望台の、どう頑張っても逆光を免れない土方さん。函館市内の土方さん(像)は全部で何人なんだろう。
五稜郭タワーを30分くらいで見終えて、本当なら五稜郭と箱館奉行所も見学するつもりだったんですけど……この日、なかなかえぐい雨で。いえ、雨はそこそこなんですが風がすごくて。何度も傘ひっくり返ってたし、もうすでに靴ぐちょぐちょだし、ていうか風すごすぎて前見えなくて危ないし……
それで五稜郭はひとまず断念して、ランチに向かっちゃいます。
11:30、五島軒
「五稜郭公園前」から「十字街」まで移動します。ちなみに函館市電では「十字街」までは一本道。そこから先は「函館どつく前」と「谷地頭」の2方向へ路線が枝分かれする仕様です。
その「十字街」から徒歩3分ほどの場所にある「五島軒本店 レストラン雪河亭」。明治から続いている古い洋食屋さんです。ちなみに提供メニューがカレー系だけになるんですが、五稜郭タワーにもお店がありますよ。本店ではコース料理なども提供しています(コースは事前予約が必要)。
まあ、わかるっしょ。この建物の良さよ。
オープンの11:30に合わせて入店したんですが、その時点でいただいた整理券番号は12番。でもこのお店の良いところは、建物内に素敵な待合ロビーがあること。
すってき〜!!
わかるでしょ、この建物の良さよ。
とはいえ、そこまで気取ったレストランってわけでもないんです。いえ、おそらく明治の頃には「とびきりのレストラン」だったんでしょうけど、今はその雰囲気を残しつつも「老舗の洋食屋さん」って感じ。価格帯も(コースは1万円超えちゃうけど)アラカルトならロイホくらいのお値段です。
艦これともコラボしてた。
前述したように、この日(かなり暴風の)雨で……「気取った服装」っていうよりは「機能性重視の服」だったので、ドレスコードで断られたらどうしようってちょっと心配してたんです。でもいざ入ってみれば、良い意味で意外に庶民的だった。このニュアンスが伝わるかわかんないんだけど……
というわけで、ロシア料理セットをいただきました!牛肉のシチューにカニクリームコロッケといった「洋食屋さん」って感じのお料理と、ボルシチやビーツ入りのサラダ、ロシアのケーキなどがセットになっています。パンが2つあるんだな、と思ったんだけど、1つは五島軒の看板メニューでもあるカレーパンだった。ちょっと嬉しい。
(食べかけでごめんね)
函館市電1日乗車券でドリンク1杯無料でいただけたので、食後にコーヒーをいただきました。コースメニューじゃないからデザートもまとめてお出しされてたんだけど、デザートを食べ始めたタイミングでコーヒー持ってきていただけてハッピーだったな。
ロゴが可愛い。
五島軒ができたのは1879年。箱館戦争から10年が経った頃です。函館の街って素敵な洋風建築や教会なんかが多いけど、そういうものができ始めた時期だったのだろうなと思うし、土方さんがそういう「どんどん新しくなる時代」を見たらどうしてたんだろうな……とも思ったりする。早々に洋装に切り替えた人だし、めっちゃ満喫して肉食いまくってたかな。
ちなみに市電、ゴールデンカムイ展の特別ラッピング車両も走っている。
お会計の際に奥の部屋もちょっと撮らせてもらいました。
この日は団体のお客さんが使っていました。でもわたしたちが使ってたお部屋よりこっちの方が内装が豪華だから、コース料理だったらこっちの部屋だったりするのかな。
今回、わたしが入店したタイミングだと待ち時間は15分くらい。でもすぐ後の人たちは待ち時間60分程度と案内されていました。とはいえ待合ロビーもあるし、待ち時間が発生するにしても過ごしやすい場所かなと思います。気軽にお嬢様気分になれておすすめです。
五島軒レストラン雪河亭 公式サイト
13:00、谷地頭から碧血碑へ
お食事は1時間くらいで終えて、ふたたび「十字街」駅へ。ここから谷地頭ゆきの市電に乗り、終点の「谷地頭」まで向かいます。
ここでのお目当ては箱館戦争の戦死者を供養する「碧血碑(へっけつひ)」。この頃には雨風もだいぶ和らいでいました。霧の濃い、山の方に向かっていきます。
徒歩10分ほどの道中、霧がほんとすごい。この光景を見て、会津の天寧寺(土方歳三が建てた、近藤勇のお墓がある)に行った時のことを思い出しました。
今改めて記事を見てみると霧は別に出てなかったみたいなんですが、雨で湿った感じとか、山に向かって歩いて行く感じとか……全然別の場所なのに、変なリンクがあって、でも両方とも新撰組に関係がある。なんだか不思議な感じだ。
ほんと全然違う場所です。エゾヒキガエル。
会津の時はゴールデンウィークなのに寒くて、長袖を着てたんだっけな。
函館は7月なのに、紫陽花が今が盛りとばかりに咲いています。
この道の草木の感じとか、「これ嘘言われてる気がするな……」って思いながら歩く感じも会津の時と似ていた(Google map、石碑の手前で案内終了してあとはジャンプしてね!みたいになっていた)。
で、案の定嘘言われてて、妙心寺まで来たところで改めて経路を確認する。「妙心寺を少し行ったところに看板と階段がある」という口コミがあったんだけど、
妙心寺のもうちょっと先で現れたのがこの看板。通り過ぎちゃってたみたいです(口コミは函館八幡宮から向かった時のやつみたい)。
来た道を戻ると、口コミにもあった看板を発見。
でね、この光景を見て、なんだかはっと胸を打たれるような気持ちになっちゃった。
青い紫陽花の咲く、階段を登っていく。
碧血碑は旧幕府軍戦死者を供養するもので、もちろん土方ら元新選組隊士もいます。(実際浅葱のだんだら羽織はほとんど使われなかったとも言うけど)やっぱり新選組といえば「青」を連想してしまうし、そして日野の土方家の菩提寺でもある高幡不動は「紫陽花」の名所でもある。なんか一気に、そういう要素が、ドワっと。いえ、あくまで実際的なものではなくわたしが勝手に受けた、後世の創作などを出典とするイメージに過ぎないんですけど。
道中に天寧寺の時のことを思い出したのも、そうだけど。
こういうことって万人に共有できることではないんですよね。その日、たまたまわたしが体験したこと。「これにはこういう意味が」とか「ここではこういう体験ができるよ」とかそういう話ではなくて、すごくすごく個人的な経験の積み重ねが、個人的な小さい感動とか、ちょっとした偶然の一致などの存在を受信する。そういう、ものなんだな。そういうことを少し思った。
階段はそう長いものではなく、比較的歩きやすいので運動靴であれば問題ないかと思います。いっそヒールとかでも、若くて歩行が安定してる人なら大丈夫だと思う。
ただし雨の日は階段の一段一段がちっちゃいプールみたいになっちゃうので注意です(もうビッショビショだよ!)。
階段を登り切ったところには、石碑と説明の看板、東屋、碧血碑の建立に尽力した柳川熊吉の石碑があります。
終戦後、新政府軍は旧幕府軍戦死者の埋葬を許しませんでしたが、それに異を唱えたのが侠客の柳川熊吉でした。熊吉は実行寺住職の日隆らの協力を得て、打ち首を覚悟しながらも、町中に放置されている遺体を回収します。結果的に処刑を免れた熊吉は、函館山の山麓に土地を購入し、実行寺などに収めていた遺体を改葬。7回忌にあたる1875(明治8)年には、旧幕府軍の中心メンバーであった大鳥圭介や榎本武揚らの協賛を得て、碑を建てたのです。
榎本さん。トゥーザノースの行き着く果てをどのように見ていたのか。
中国の故事「義に殉じた武士の血は三年たつと碧色になる」より「碧血碑」の名がつけられています。
なお碧血碑と刀剣乱舞における和泉守兼定と堀川国広のキャラクターデザインについて、ゲストライティングで記事をお寄せくださったいりけ/塵さんが素敵な考察をしてらっしゃるので、よければこちらもご覧ください(今回の旅行の際にもだいぶ参考にさせていただきました!)。
石碑の裏側に彫られてるのは「明治辰己(しんし)実に此の事あり 石を山上に立て以てその志を表す 明治八年五月」。「此の事」と伏せ字みたいな表現になってますが、これに関して石碑前の看板では「旧幕府脱走軍の霊を公然と弔うには支障があったことが推測される」と説明しています。
参考:南北海道の文化財
14:00、史跡めぐりツアー終了
碧血碑を後にして、谷地頭に戻って市電に乗ったのが14時。このあとはまた十字街で降りて、ベイエリアの赤レンガ倉庫を歩いて見てまわって過ごしました。この頃にはだいぶ雨風が止んできて良かった……
というわけで、ここまでぐるっと見て回ってまだ14時です。今回カットした五稜郭を含めたとしても十分余裕のある時間なので、今回の旅程を参考にいろいろカスタマイズしていただけたらいいんじゃないかな。参考になったら嬉しいです。
ここまで読んでいただいてありがとうございました!
(濡れた上着のポケットに出し入れして、1日ですっかりくたびれた1日乗車券)