天寧寺

会津若松・新選組めぐり 天寧寺(近藤勇、和泉守兼定のお墓)ほか

仕事で福島に行く用事がありましたので、少し時間を作って会津若松を歩いてきました!行った日は2022年5月3日(火)。

天気雨を歩いて天寧寺へ

若松駅近くに宿泊していました。朝8時半に宿を出て、40分ほど歩いて天寧寺に向かいます。

会津若松

(猫がいます)

ゴールデンウィーク真っ只中ではありますが、肌寒い気候。薄手のニットにユニクロの防水パーカーを着ていましたが、もうちょっと着たいなという具合でした。寒冷地に不慣れすぎる(雪なし県育ち)……

青空が見えているのに雨が降って、止んで、が繰り返されるような天気でした。道が清められたように濡れていてちょっと気分が良かった。

会津若松

しばらく行くと、そうそうこれこれ!お目当ての場所の看板が現れます。

天寧寺

天寧寺

天寧寺へ至る道に出ている看板です。ちなみにGoogle Mapの案内通りに行くと、近くの正法寺の入り口に案内されてしまいました。経路検索せずに素直に天寧寺に近い道に歩いていくのが良いです。

経路検索するとこうなる(2022年5月3日現在↓)

道なりにしばらく行くと石段が現れます。

天寧寺

そこまで大変な石段ではないのでよかった。

天寧寺

石段(第一弾)を上がり切ると、もう本堂が見えます。良心的な石段。

天寧寺

会津刀匠 和泉守兼定の墓

ここで左手を見ると「古川家」というお墓が奥の方に見えます。

天寧寺

ちょっと失礼して、墓地の草むらをもさもさ歩いて近くまで行くと……

天寧寺

はい、ここ、和泉守兼定のお墓です。

兼定はもとは美濃・関(岐阜)の方の刀工でした。関鍛治は戦国時代以降技量を買われ、各地で腕を振るうようになりますが、16世紀以降の兼定は会津にて十一代まで兼定の名を継承しています。そうして会津の地にて、和泉守兼定が土方歳三の佩刀を作ったわけです。

参考:「兼定 刀都・関の名工」図録(岐阜県博物館・2018年)

山の奥へ

手を合わせてから、改めて本堂をお参り。

天寧寺

高台なので景色が良いです。山だ……

天寧寺

本堂の右手から裏に回ります。

天寧寺

天寧寺

この先に近藤勇のお墓があるんです。

天寧寺

土地柄というか、「会津士魂」とかそういうのが当たり前のようにある。大義とか魂とか、そういうの、なんなんだ……みたいな気持ちになってしまう。

さて、しばらくは舗装された道なんですが……

天寧寺

ちょっと行くとこんな感じに。

天寧寺

「山道なので歩きやすい靴がおすすめ」というのは事前に見ており、どんなものかなと心配していました。さっき雨も降っちゃったしね。でもまあどうにかなりそうな感じでよかったです。

天寧寺

一番険しいとこでもこれくらい。道の真ん中はぬかるんで歩きにくいですが、脇っちょを選んで踏めば特に問題はありませんでした。とはいえ雨が降っていたりしたらそこそこ大変でしょうね。

ハンタ道(今帰仁城までのやばい道)に比べれば全然平気……と思いながら歩いた。経験よ。

歩いた時間は8分くらい。案内看板がマメに出てるので迷いません。

近藤勇・土方歳三の墓

天寧寺

右側が近藤勇、左側が土方歳三のお墓。両者ともお墓はさまざまな場所にあり、ここもその複数あるお墓のひとつです。

兼定のお墓と同じお寺というのが不思議な縁だなあと思う。

天寧寺

板橋で斬首となった近藤勇。その首は京都の三条河原に晒されたのですが、何者かがそれを持ち出します。それが会津にいた土方歳三の元に届けられ、土方歳三がお墓を建てた……とか、首が埋まってるわけじゃないけど斬首を知った土方歳三が松平容保にお願いして墓を建てた……とか、首じゃなくて遺髪を元にしてお墓を建てた……とか。

お寺内のいろんな説明書きでも結構ブレがあるんですよね。あんまりはっきりしていないんだろうな。墓を暴けば首のあるなしはわかるだろうけど、そこはまあ、しないのが礼儀というものだし。

天寧寺

天寧寺

ビールとハイボール、わかる……となった。好きそう(知らんがな)。

側には小さな松があります。

天寧寺

天寧寺

近藤勇の墓を見守っていた「首塚の一本松」は枯れかけて枝の落下の危険などから伐採されたのですが、その木の根っこから新芽が生えてきたとのこと。二代目の松として成長を見守られています。

お隣の土方歳三のお墓はもう幾分新しいお墓です。

天寧寺

天寧寺

レモンサワー、爽やかニシパですね(あとはお神酒とホッピーでした)。

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