店内からの景色

土方歳三の足跡をたどる旅 函館に行ってきた【旅する審神者 番外編】

先日掲載した「ゲストライター募集の記事」に、たくさんの反応いただきありがとうございました!早速お声をかけてくださったいりけ/塵(@ilwil_2114)様が、爆速で函館旅行記をお寄せくださいました。

ちなみに「いりけ/塵」とふたつのお名前を掲載させていただいておりますが、「塵」はミュージカル刀剣乱舞真剣乱舞祭の情報を受け好きすぎて心が散り散りになっちまったことから名乗っているお名前だそうです。おもしれ〜……

それではいつもと違う「旅する審神者」、お楽しみください!

函館に行ってきた

刀剣乱舞についてはゲームサービス開始後に存在を知り、満員御礼からサーバ追加された2015年5月に審神者になりました。気づけば刀剣達にゆるゆると親しみ、刀工や刀剣に関連する土地、催しを訪ねることが多くなりました。

今回はいざなみ様の企画に参加できることを嬉しく思います。機会をいただきありがとうございます。

今回ご紹介するのは北海道函館市です。
刀剣乱舞では和泉守兼定・堀川国広の元の主として紹介されている、新撰組副長 土方歳三が最期を迎えた土地として知られます。本記事では、土方歳三や、彼が命を散らした函館戦争にまつわる場所、函館の美しい景色などをご紹介したいと思います。

土方歳三の足跡を偲ぶ

土方歳三は江戸時代末期(幕末)、尊王攘夷・討幕運動が盛んになった京都において、幕府が京都の治安維持のため募集した浪士組に近藤勇らとともに参画。そののち浪士組は京都守護職の会津藩主・松平容保の庇護のもと、新撰組として発足します。

新撰組で「鬼の副長」として恐れられた時代を経て、土方は戦とともに北上し、榎本武揚らと函館に辿り着きます。函館の戦で最期を迎えますが、その亡骸は見つかっていないとされます。また、最期を予感した土方は、函館から日野の実家へ愛刀の和泉守兼定を送ったとされています。

関連史跡への訪れ方

函館駅を中心として、各関連史跡等へ30分〜2時間程度でアクセス可能です。
私は市電・バスを利用して観光しました。場所によっては30分ほど歩く必要があります。また、車での訪問も問題なく出来ると思います。

関連施設等は函館市公式観光サイトの特集記事を参考にして探しました。 また、地元のタクシー会社では観光タクシーの運行があり、専属ガイドの方が案内してくださるようです。時間のない方はこちらを利用してみるのも良いかもしれません。

数多くある足跡のうち、特に心が揺さぶられた幾つかの場所をご紹介します。

1. 五稜郭

五稜郭

函館山の麓にあるヨーロッパ式築城方式の城郭です。函館駅からバスで訪れることができます。

五稜郭は、名前の通り稜堡(外に向かって突き出した角の部分)が五箇所ある城郭。隣接している五稜郭タワーの展望台から眺めると、星形であるのが分かります。

五稜郭には箱館奉行所が設置され、函館戦争(1868年10月20日-1869年5月17日)の折には土方歳三らが滞在していました。奉行所は函館戦争終結後に取り壊されましたが、現在は当時の姿を再現して再建築されています。中は資料館になっており、往時の姿を偲ぶことができます。また、五稜郭の歴史や当時の暮らしぶりについて学ぶことができます。

参考:Wikipedia「五稜郭」「箱館戦争

五稜郭石碑

函館奉行所

五稜郭は周囲をぐるりと歩くことができ、北海道の澄んだ空気が美味しく感じられました。土方さんたちもこの場所を歩いたのかもしれない。そう思いながら土を踏みしめました。

私が訪れたのは4月上旬でしたが、時々乾いた雪が降っており空気もひんやりとしていたため、少し厚めの上着を持って行ったほうがよいと思いました。また、五稜郭は桜の名所としても知られており、毎年ゴールデンウィーク前後が見頃のようですので、お休みを利用して訪れてみるのはいかがでしょうか。

隣接している五稜郭タワーでも函館戦争にまつわる歴史を学ぶことができます。また、タワーの1階と展望台には土方歳三の像が設置されています。

五稜郭タワー公式サイト

土方歳三像・タワー展望台

五稜郭タワーでは限定のお土産も売られていますが、私が特筆したいのは展望台でしか買うことのできない土方歳三Tシャツです。デザインは数種類ありますが、実際に気に入って購入したものはこちら。

Tシャツ

五稜郭を背景に、軍馬に跨り戦場を駆ける土方さんの姿が躍動的に描かれています。また、土方さんが故郷を思い詠んだ句も、戦の激しさと命を散らした運命を思うと一段と胸に沁み入ります。

『たとえ身は 蝦夷の島根に朽ちるとも 魂は東の君や まもらん』
意訳:たとえ私の身が蝦夷の地の島端(箱館)で朽ちようとも、私の魂は東にいる君をきっと守るだろう

「東の君」とは、将軍や土方さんの家族、恋人など様々な説があるようですが、いずれにせよ、函館で死を覚悟した強い思いを感じることができます。

2. 一本木関門

一本木関門説明看板

土方歳三が最期を遂げたと伝えられている一本木関門は、函館駅から北東へ500メートルほど歩いた先の公園内にあります。箱館市によって設置された解説看板によると、土方さんが亡くなったのは1869年、35歳のとき。現代であれば働き盛りの年頃になります。

一本木関門

私が一本木関門を訪れたのは平日でしたが、石碑には花が添えられており、亡くなってから150年余りが過ぎた今でもその人気振りが伺えます。あまりパッとした観光地ではありませんが、静かなこの場所で手を合わせると心が凪いでいくようでした。

3. 碧血碑

函館駅から市電に揺られること12分、「谷地頭」駅で降車したのち、15分ほど歩いた先の函館山の麓に「碧血碑」があります。民家の脇の小道を登った静かな森の中に佇んでいました。

碧血碑

碧血の由来は中国の故事から。「忠誠心を持った者の血は碧くなることから」と言われています。

参考:コトバンク

函館戦争では多くの幕府軍の命が落とされましたが、新政府軍は旧幕府軍の兵士の遺体を「反逆者である」という理由から放置することを命じていました。それを哀れんだ函館の寺の僧侶たちが、遺体を集め葬った場所とされています。

これは個人的な考えでしかありませんが、刀剣乱舞のキャラクターである和泉守兼定・堀川国広の2振りの目が碧いのも、最期まで君主への忠誠を貫き通した元の主に流れただろう「碧い血」が由来であったら素敵だなと思うのです。

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