ゴールデンウィークは仕事で、唯一5月5日だけ休みだったんです。「貴重な中休みなんだから体を休めなきゃ……」と思ったんですが、「いや結城なら行けるくない?」となってしまって、なんか知らんけど結城まで行ってきました。まあね、確かに体は休めるべきだけど「無理を押し通して遊ぶ」が永遠にできるわけじゃないからね!できるときにやらなきゃ、の精神。
というわけで、茨城県結城市に行ってきました。新宿・池袋からは湘南新宿ラインで小山まで行き、そこから水戸線に乗り換えて2駅。全体の所要時間は2時間弱ってところ……ですが、小山→結城の電車が1時間に2本とかしかないので、乗り換えによって全体の所要時間がだいぶ前後します。
そう、小山で乗り換えなんですよね。慶長5年、関ヶ原の戦いの直前に、徳川家康が養子に出した息子である結城秀康に稲葉江を譲った、そのきっかけとなる場所が小山なのです。せっかくなので途中下車して、ちょっと小山を歩いてみました。
朝9時、小山駅着
5月7日まで古河で「かえってきた堀川國廣」展が開催されていますが、その古河を少し通り過ぎたところが小山です。駅はけっこうデカくて、駅ビルにスタバがあったりする。
西口を出て、大きな通りをまっすぐ進みます。
道が広い。いわきとかの感じに似てる。
まっすぐ10分ほど歩くと、小山市役所。
きれいな市役所だな。この時はまだ朝早かったので中は覗けなかったんですが、ロビーでちょっとしたパネル展示もしてるみたい。
「どうする小山評定」
この市役所敷地内に、小山評定跡の石碑が建っています。
小山評定跡
家康から康秀に稲葉江が渡されたのは慶長5年(1600)、関ヶ原の戦い直前のこと。
会津の上杉景勝を打つべく挙兵した家康でしたが、一方西では石田三成が挙兵。会津に向かおうと小山まで来ていた家康は、会津に向かうか、石田をたたきに行くか「どうする?」と選択を迫られます。そこで自身は西に向かい、小山に秀康を残そうとするのですが、秀康は「それは嫌だ!」と反対。西上軍の先手を希望します。
……結局折れた秀康は小山に残ることになるのですが、このときに家康から説得の材料として渡されたのが「稲葉江と秘蔵の采配」。稲葉江は後に「松平」に苗字が変わった結城家に代々受け継がれることになります。
実際に来てみて実感するけど、小山って結城と2駅しか離れてない。秀康をここに置くのは、地の利とかの面でも有効だったんだろうなあと思う。
稲葉江は現在、山口県の柏原美術館(少し前は岩国美術館という名前だった)に所蔵され、ちょいちょい展示されています。
What is 稲葉郷?
で、ここで近侍ピンを挿そうとしたわけですよ。
ん?
んんっ!??!
稲葉郷?????
一瞬バグでキャラ名が表示されてるかと思ったんですが、「江」の表記も違うし。検索したところ、どうやらこの近隣に「稲葉郷」という地名があるらしいです。えっ、知らんかった……
小山評定跡から徒歩30分、みたいです。飛び地みたいになってるのかな?知らんかった〜……おもろ。
ちなみに小山市立博物館では小山評定に関する展示を開催中です。こちらを目当てに来ても良さそう(帰りに駅でポスターを見て「あっそうだった!」となった)。
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