まあ初詣でもないんだけどな。
東京都世田谷区の松陰神社にお散歩に行ってきました。なんかしらんけどここ数年の慣例みたいになってるんですよね。
2016年の記事でちらっと紹介してたんですが、実はそれ以降もほぼ毎年年始にお参りに行っていました。久しぶりにご紹介しようかなと思います。
松陰神社
幕末の教育者であり思想家、吉田松陰をお祀りする神社。東急世田谷線の松陰神社前が最寄りですが、小田急線の駅(豪徳寺、梅ヶ丘、世田谷代田)からでも徒歩20分くらいなので、お散歩にほどよい場所に位置しているかなと思います。古着とサブカルの街・下北沢からでも30分くらい。
さほど大きくはない神社ですが、境内には松下村塾の模造や、吉田松陰のお墓などがあります。
土日祝のみ雨戸が開放される松下村塾(模造)
吉田松陰墓所
ところで、吉田松陰といえば萩(山口県)の人。松下村塾も大元は山口県にあるものです(山口県の松陰神社内に、幕末当時に作られたものがそのまま保存されているそうです)。その人を祀る神社が、どうして世田谷にあるのかというと……
>吉田松陰先生は安政6年10月27日、安政の大獄に連座し江戸伝馬町の獄中にて30歳の若さで刑死されました。その4年後の文久3年、松陰先生の門下生であった高杉晋作、伊藤博文、等によってこの世田谷若林の地に改葬されました。神社所在地一帯は江戸時代から長州毛利藩藩主毛利大膳大夫の別邸のあったところで大夫山と呼ばれていたそうです。
>明治15年11月21日松陰先生門下の人々が相謀り、墓畔に社を築いて先生の御霊を祀り忠魂の鎮座するところとなりました。今日の社殿は昭和二年から三年にかけて造営されたものです。
ということで、もともとこの場所は地元に縁のある場所だった、とのこと。山口、岩国と下関しか行ったことなくて、幕末の風を感じる機会がないんだよねえ。そのうち行きたいとは思っているんだけど。
吉田松陰と南海太郎朝尊
なお吉田松陰と刀剣乱舞との関わりを(ミュージカル刀剣乱舞以外で)探ってみると、南海太郎朝尊があげられます。
>思想家や志士(佐久間象山・吉田松陰・梅田雲浜・頼山陽等)と交わり勤皇の志が篤かったが、安政の大獄の前、身の危険を感じてか安政五年帰国し、二ツ野鈴原で鍛刀。
これは高知の佐川町(朝ドラ「らんまん」で一躍有名になった牧野富太郎の出身地でもある)にある南海太郎朝尊工房跡にあった看板の内容です。
▼訪問時の記事はこちら
南海太郎朝尊は湯島天神の近くで刀を作った時期があるようなので、江戸の地で吉田松陰との親交があったのかな。工房跡の看板によると吉田松陰が投獄死する前年に郷里に戻っていますが、一歩間違えれば安政の大獄で死んでた……のかもしれない。
いえ、刀鍛冶だしそこまでクリティカルな活動をしていたわけでもないかもしれないけれど、ただ同じ時代を生きていたのだなあという手触りがあると、感じ方も違うなあと思うところです。
おしゃれタウン、松陰神社前
で、なんで毎年毎年この神社に足を運ぶかというと、アクセスのしやすさと神社のサイズ感(疲れなさ)とか歴史の面で興味を持ちやすいこととか、そういうのもあるんですけど、神社の周辺におしゃれなお店がいっぱいあるのも大きいんですよね。
年に1回くらいしか来ないのであまりたくさんお店を知っているわけでもないんですが、今回は大通りに近い場所にあるカンノンコーヒーでお参り後の休憩を取りました。こんな感じの、ちいさくて気の利いた店がたくさんあるんです。
シナモンクッキー(松陰先生クッキー)も食べた。今回は店内でいただいたけど、通り全体としてコーヒースタンドが多くて、店先のベンチでちょっと一服、ってしてる人も多いです。年始のハレの雰囲気と、そういうのんびりした感じが好きで、毎年この町に足を運んでしまう。
という、松陰神社と松陰神社前をお散歩した日記でした。ぜひ何かの折にお散歩してください。ここまで読んでいただいてありがとうございました!
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