清見寺 具志頭王子朝盛(尚宏)の墓

静岡に眠る琉球のひと 清見寺、具志頭王子朝盛(尚宏)の墓

静岡県島田市で刀剣展示を見た、2023年1月28日。その帰りに去年から行こうと思っていた、静岡市清水区興津の「清見寺」に行ってきました。

島田から興津

復帰50年の翌年に

具志頭王子しのぶ 静岡市清水区・清見寺で法要 琉球舞踊を奉納(2022年9月13日、静岡新聞)

きっかけは去年偶然見たこちらのネット記事。沖縄の復帰50年ということで沖縄の話題を多く聞き、考えることの多かった2022年だったからこそ、この記事タイトルに反応できたと思います。「すぐにアクションはしないけど、気にかかっていること」として琉球王子のことが頭に残りました。

『旅する琉球・沖縄史』真栄平房昭 著

そして東京国立博物館で開催された「琉球展」の際にミュージアムショップで買っていたこちらの本。しばらく積読にしてたんですが、9月の静岡新聞の記事を見た後にやっと読み進めて、そこで清見寺の琉球王子、もとい具志頭王子のことを詳しく知ることができました。

清見寺の琉球王子

慶長14年(1609)に島津軍が琉球を攻略。この時の琉球王は尚寧といいますが、その弟こそが具志頭王子。唐名は「尚宏」、国相として薩摩との和平交渉にあたっています。

(なお笹貫は薩摩樺山家に伝わった刀ですが、この琉球侵攻の際に島津側の大将を務めたのは薩摩藩家老、樺山久高でした)

琉球侵攻の翌年、尚寧や尚宏、重臣たちは薩摩に連れて行かれたのち、さらに幕府への恭順の意を示すために駿府と江戸に向かうこととなります。すでに将軍職を譲って駿府城に入っていた徳川家康と謁見したのち、一行は江戸に向かうはずでしたが、尚宏は心労や長旅の疲れもあってか、病に臥してしまう。兄・尚寧は弟を残して江戸に向かうことにしましたが、尚宏はそのまま回復することなく、駿府の地で亡くなりました。慶長15年(1610)8月21日、31歳のことです。

そうして彼が葬られたのが、現在の静岡市清水区興津に位置する「清見寺」。

参考:樺山家記録 / A Record Of Kabayama Famil(琉球大学 琉球・沖縄関係貴重資料デジタルアーカイブ)
京都国立博物館 館蔵品データベース
旅する琉球・沖縄史

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