いろはに刀剣 石切丸

いろはに刀剣行ってきたログその2~石舞台にて

さてさて、飛鳥寺を出たのが10時ごろ。
地図で見る限りだと、ここから石舞台まで距離的には30分くらいかな?というところでしたが
坂があるからどうかな~~10:30に着けたらちょうどいいんだけどな~~

と思ってひいひいしながら坂を上り、上り上り上り、
最期にガーーーっと下って帽子ふっとんで歩いてたお姉さまに拾っていただいて、

そんで着きました!石舞台古墳!
予想外にきちんと自転車漕げてたみたいです。ぴったり10:30に着きました。

いろはに刀剣2016

石切丸、小狐丸の展示も楽しみにしてましたが、
刀匠さんの講演会もぜひ聴いてみたいな~とか、
書籍販売もあるみたいだし、持ってないやつでよさそうなのあれば買おう~とか
そんなことも考えてました

いろはに刀剣×刀剣乱舞コラボ2016
 

とうらぶとのコラボで、使わないグッズは持たない主義なのでファイルはいいとして、
柿の葉寿司好きだしトートちょっと気になるけど絶対売り切れだろうなあ
無配のカードだけもらえたらいいかなあ…とか考えて
30分前に様子見も兼ねて会場を覗いたのですが

こんな状況

石舞台 いろはに刀剣
 

ビッグサイトかよ!

まあ…キャラクターカードあったら欲しい程度だし…
ここは並ぶのやめといて、
イベント開始の11時までの時間で石舞台古墳見よう…と思って
会場から少し坂を上ったとこにある石舞台古墳に行きました

石舞台古墳

国営飛鳥歴史公園

うそん!と思ったんですが、さっき飛鳥寺で一緒だった修学旅行生たちが出てくるとこに行き会いました…
まじかよわたしチャリだぞお前ら団体バスやろどういう行程で被るねん…
そういうことあるんですね

この石舞台古墳、

すぐそこにある駐車場から蘇我馬子の邸宅の跡が発掘されたため、
この場所も彼の持ち物であったことが予想されること、
蘇我馬子を「桃原」という土地に葬ったとの記述があり、
この場所も「上桃原」「下桃原」などという呼ばれ方をしていたということ、
またこの墓の規模的にも、相当な権力者でないとこれだけのものを作らせることはできないということ、
…などといった理由から、蘇我馬子の墓という説が一番有力だそうですが、
はっきりとした記述などがないため、断言はできないそうです。

(説明してくださるガイドのおっちゃんがおられました!)

そういう、一個一個はばらばらな事象を繋ぎ合わせてひとつの像を結ぶような作業、
超研究してる!ってかんじでめっちゃ素敵だなって思います。
いいなあロマンだねえ。

石舞台古墳
 

風舞台

そうこうしているうちに11時になりましたので、
風舞台の方へ移動して、物販ではなく刀剣展示の順番待ちに並びます。

その1の記事でもご紹介した刀録さんですが、2015年の時の様子を書いてくださっています。
だいぶ参考にさせていただいたのですが、だいたい前回と同じような感じだったんじゃないかなと思います。

前回の現地レポをまとめている記事。
展示の撮影可能の場所で出ているものは、おそらく前回のものと同じです。

人が多くてあんまりパシャパシャするの憚られたので、あまり写真撮ってませんが、
検索すれば去年のも含めてすぐ出てくるかなと思います。

いろはに刀剣
 

鯰肌っていうの初めて聞いた(※鯰という文字への反応がいいタイプの審神者)。

刀型で、いろいろな刀の姿を見比べることができたのですが、
石切丸が三日月宗近よりずっとほっそりしていて、
短いことは知っていたんですが、びっくりしました

真剣展示のほうは撮影不可。

お目当ての石切丸、小狐丸の他にも、
復元した七支刀、蕨手刀、小烏丸写しといった、古い刀、剣を主に見ることが出来ました。

石切丸そのものについては、以前の石切さん参拝ログのときにいろいろ書いたので
そちらを見ていただくとして。

なんというか、自分の中で「神社の刀」っていうカテゴリになんか固定観念ついちゃってたんだな、って思いました。
主に太郎太刀のせいですけど。

自分の中で、奉納刀のイメージの代表格が太郎兄さんになっちゃってて、
それ以外だとすごく彫刻がきれいな刀とか、
やたらに幅が広くてすごいインパクトのある脇差とか、
そういうものがザ・奉納刀のイメージになっちゃってたんです。

太郎太刀
太郎太刀

同一とは限らないものの、悪源太のエピソードもあるし、
その意味わかんないデカさっていうイメージが先行してて、
あ~~~~ちゃんと立ち止まって考えたらそんなことないってわかるのに、
なぜか石切丸は南北朝系ゴリマッチョなイメージがもりもり付いちゃってて、
それに気付いて我ながらびっくりでした。

そうではなくて。
神様に近いところにある刀であるからこそ、実用性より装飾性やインパクトを重視した、そういうタイプとは異なって、
すらしとした気高さ、たおやかさ。のどかさ。鋭さ。
そういうものを思いました。

音に例えるなら、りーんとか、しゃんしゃんとか、金気の音が似合いそう。
太郎兄さんは、どぉんどぉんというような、大太鼓みたいな音が似合いそう。
そういう風に考えてみると、例えば北野天満宮で見た秀頼さま奉納の国広なんかは、
木の床に木の杖をついたみたいな音かな。かつーん、って感じの。

すいません細かい専門知識は小さじ1杯くらいしかもってないんで大体フィーリングで見てます

語彙力が…高まりますね…!←

そんな石切丸と並んで展示されていた「大きいけれど小狐丸」とは言えない小狐丸。

折り返し銘の三条宗近の作の刀。
ってことは、もともとはもっと大きかったんだろうな?ということが予想されます

やっぱり時代も流派も近いので、姿の雰囲気は似ているな~と思ったのですが、
地金が全然違いましたね!

小狐丸のほうがうねうねしていて、表現が適切じゃないかもしれませんが
「ざらっとしてる」っていう印象を持ちました。野生ゆえ。
石切丸は地金の特徴が気にならないくらい静かな地金で、それも含めてたおやかだなと思った。

キャラクターの話に入ってしまいますが、
ゲーム上での三条派って、いろんな要素を網羅してるなあと、今回改めて思いました。

美術品としての一振りである三日月宗近。
歴史上人物の物語を語る今剣と岩融。
信仰、神と人との関係の在り方を背負う石切丸。
それから、刀匠自身の物語を語る小狐丸。

「あ~でも義経と弁慶がそもそも割と伝説的だし物語になっちゃってて史実の感は薄いか~」
って感じで、もっと手に取れる近さの武人とのゆかり欲しかったね、とも思ったのですが、
「あれっそうするとこのチーム三条に加州を加えた刀ミュ部隊ってすごく均衡取れてるよね…?すご」
っていう答えに落ち着きました。なんか納得した。

真剣の展示は、小さいテントにあとからあとから人が入って来るので
あまり長居するのが申し訳なく、
さらっと見て終わりにしてしまいました。
落ち着いて美術館とかで見れたらいいのだけど…まあ難しいよね。

展示テントから出て、まだあるのかな~~と思ってダメ元でキャラクターカード配布のとこ覗いてみたら、
まだあったので!無事いただけました!わーい!

いろはに刀剣 石切丸
 

それから石切神社のテントで図録を買って、

石切劔箭神社 図録
 

敷地内のレストランでカレーのセットを頼みました。
これでだいたい12時ちょっと前くらいだったかな?

石舞台 カレー
 

わたしは座って旅ノートちょっと書いときたいなと思ったのでレストランで食事しましたが、
外ではテントでの出店がいっぱいでていて、それもだいぶおいしそうでした!
ステーキのお店の誘惑やばかった・・・

12時くらいからステージでゆるきゃらのイベントしてて、
食事してたのでステージは見ずに音だけ聞いてたんですが、
さいごにこんのすけパイセンも出演されてました。
なにげに着ぐるみのこんのすけを見るのは初でした。

ハッハーあざといなお前なんてどうせキュウベェなんだろ信用しねえからな!
ってうがった目で見てるタイプの審神者なんですが、
最後にステージ去る際にしっぽ振ってバイバイしてたのは不覚にも可愛くていらっしゃいました

ぜんぜんとうらぶ知らないであろうおじさまとか幼女とかも「かわいー!」って言ってたので
うわっくやしい・・・とか思いました。何様なんでしょう。

芝生に座って聴く講演会

13時からは講演会。
刀匠の河内先生宮内庁の徳田先生が、
七支刀をほぼメインとして、日本刀が成立する以前の刀のありようとか
そういうことを話してくだすってました。

日刀保の方の話、美術館の館長さんの話なんかは聞いた経験あったのですが、
刀鍛冶さん、皇室メインの研究者さんの話は
今まで聞いたのとまたアプローチがちがって、面白いなと思いました。

いろいろとっ散らかってますが、聴きながらとったメモ。

ノート いろはに刀剣
 
いろはに刀剣 ノート
 

個人的には、七支刀が4世紀という時代のいろいろなものを読み解くキーとなりうるってのが
なかなか面白いなって思いました。
だって4世紀ですよ?
1600年前ですよ?
ふつう分かんないじゃんね。わかるんだもんなあたった一つの剣から。すごいなあ。

河内刀匠の話は、刀の見方とか、
七支刀復元をどういう経緯で行ったかとか、そういうお話。
あと何度かおっしゃってた、「研究者は気付かなかった。わたしは刀鍛冶だから気付いたのね」みたいなの、
そういうのの現場に立ち会ってみたい!って思います
頭いい人が何十年も頭ひねってわかんなかったことが現場の人によってわかるって、
すっごい気持ちいい展開じゃない?
ラノベ的展開。むねあつ。

最期の方、
槌を振り下ろしてみたい人の列がずら~っと並んでグダってきたので、
予定時間オーバーしてましたし、チャリを返却する期限時間も決まってますし、
3時ごろ離脱して石舞台を後にしました

石切丸パネルと背比べして遊びたいな~~という気はあったのですが、
常に順番待ちの列が並んでるしぼっちだしってことで
パッパと写真は撮らずにバイバイしました。

しかし、石切丸の頭は後ろのテントの屋根を突っ切った高さの場所にあった。
でかい。

河内先生は「雨降らんうちに~」って連呼してましたけど
わたしの晴れ女力が勝ったみたい!
雲っててちょっと天気心配ではあったけど、日差しに焼かれないし、どうにか天気持ってくれました。

石舞台を後にして、橿原神宮前駅に帰りつつ、橘寺に寄ったりするのは次の記事にて!