高台寺と安井金毘羅宮

2016年初記事です。
あけましておめでとうございます。いざなみです。
(遅いねってツッコミ待ちです)

旅行に行くときは行き先の休みの日をきちんと調べましょう

わたくしの勤務先は12/29~1/3が正月休みでしたが、
28日が有給取得奨励日でしたので、
26日から長めのお休みをいただけました。

って訳で、懲りずに京都!行ってきました~~!
12/26~28の二泊三日です!

だって京都国立博物館が本気出してきやがったじゃないですか~~もう行くしかないっしょ~~~(^ω^)
ってノリで宿の予約をしたのが12月のはじめごろ。

年末が近づいたころに京博の待ち時間をツイートしてくれる公式アカウントの存在を知ってフォローし、
あっそういえば休館日とかあるよね・・・何曜日かな(・ω・`)?月曜かな?
と気付いてホームページを見るとそこには

年末年始閉館日:12/26~1/1

の文字。

\(^O^)/オワタ

・・・って感じでしたので、自分でもアホだと思いますが、京都2回行きました。
前編・年末編では、割とただの観光になってしまった旅行記をお送りいたします。
一応とうらぶにかすってるとこにも行きました。一応な。

一日目、2015/12/26

さてさて一日目!

夜行バスで京都に到着し、今回は祇園のちょっといいお宿をとったので、
まずそちらに荷物を預けてきました。

お宿が高台寺のすぐそこだったので、荷物を預けてすぐに早朝の高台寺を見てきました

年末の朝の高台寺
年末の朝の高台寺

秀吉の正室、ねねさんが、秀吉の菩提を弔うために1606年に開創したお寺です。
ねねさんは出家して高台院湖月尼というお名前になりますね

三日月宗近
通説としては、もと豊臣秀吉の正室:高台院所持で、一度、侍臣の山中鹿之助が拝領していたが、再び高台院のもとに戻ったものという。


三日月宗近 | 日本刀買取専門店 つるぎの屋より

とのことで、このあたりはみかちゃんのいた場所なんだなって勝手に思ってます。
ねねさんはお向かいの円徳院に住んで、高台寺にお参りに通っていたんだそうで。
個人的に円徳院はすごくわたしの思う本丸のイメージなのでとっても好きな場所です。

また、幕末的には御陵衛士がここに関連してきますよね
11月に時間をかけて大河の新選組!全話見たので
伊東甲子太郎=谷原章介のイメージで万全のイケメンの体制です
新選組的にもおいしい地域。

円徳院については夏の記事にあるので、興味がございましたらどうぞ

喫茶フランソア
圓徳院、御陵衛士屯所跡とか
高台寺のおわりかけの紅葉

朝一番とはいえ観光名所ですから、それなりに人はいるかな~と思っていたのですが、
この時期は観光客少ないようで、めっちゃしずかにたっぷり見ることが出来ました。
(ちょっと前までは紅葉の時期なので激混みだったとか)

高台寺

各建物、みどころポイントごとに案内の方がスタンバイしていて、
音声ガイドのごとく聞かずとも勝手に見どころを紹介してくださいます
めっちゃ勉強になりました笑

個人的に二つのお茶室がおもしろかったです
一つは日本に一つしかない二階建てのお茶室、
もう一つは小舟で中まで入ってこれるお茶室なのですが、
設計は千利休だそうです。
なんか秀吉と「こんなんおもしろくね!??」「まじ斬新じゃんやろうぜそれ!」って悪ノリしちゃったみたいな印象を受けてプってしちゃいました
(だって秀吉はともかく利休はもっと大人しい趣味なイメージだったんだ・・・)

美術館

高台寺の拝観料で掌美術館も見られたので、さらっと行ってきました。

武具は鎧しかなかったのですが、
その説明に「戦国時代の鎧はより実戦的で軽く、隙間をつくらない作りになっている」っていうのがあって
ほーーーって思いました

あとはねねさんのお道具とかね、ありました
やっぱ仮にもシルバニアで遊んで培った女性的本能がありますね
喪女でもそういうのちょっとうきうきしながら見ちゃうものですね

そしてここで初めて知ったのですが、(我ながらなんで知らなかったんだよって感じなんですが、)

秀頼さまに子どもが・・・・・・・・いた・・・・・・・・・・・・・ぁあぁ・・・
※わたしはなまずおこじらせてる審神者です

ちょっとそのとき超衝撃でサッとパッとぐぐった程度なのですが、
こんな記事がありました

キャプチャ


大坂城陥落!豊臣国松ら秀頼の子供たちはどうなった?【その日、歴史が動いた】 | BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)

これにあった天秀尼が駆け込み寺の、東慶寺に入ったって・・・・のがすごい・・・・・グッとくる・・・
駆込み女と駆出し男」、とてもよかったです好きでした・・・
あれの大泉洋の江戸啖呵がめっちゃ好きでした・・・・
男はつらいよ的なね、渥美清的なね、好きです・・・・・・・・

キャプチャ

狙って向かったわけではなかったのですが、安井金毘羅宮に辿り着いたので
ふらっとお参りしてきました

ていうかふらっとお参りする気もなかったのですが、

これ見て、

安井金毘羅宮

ん?あれ?源よりまさ・・・・?
源頼政・・・・・???




・・・・・じっちゃんじゃん!!!!!!!!!!

はい。ししおーのじっちゃんでした。祀られてたなんて知らんかった。

wikipedia 源頼政

というか頼政を祀っている寺社の欄にも金毘羅さん載ってないんだけど、
なんなんだろ・・・・どういうゆかりでここに祀られたんだかいまいちわかりません

キャプチャ

って思ってたら安井金毘羅宮のwikipediaページのほうにありました

源頼政が合祀されたのは、蓮華光院(安井門跡)の初代が道尊僧正が高倉宮以仁王の遺児であったためと考えられている。

・・・・・とのこと。
あー、以仁王の乱でしたもんね・・・・・・・・・・・・・・(大河の義経も全編見た)
大河の義経のじっちゃんまじかっこよかったっす。。
(髭切もちらっと出ます)

安井金毘羅宮

これはよく旅行ガイド本に載ってますよね~~
悪い縁を切って良い縁を結んでくれるそうです
喪女なので「仕事の縁でいいです」ってお願いしてきました。しんでる。

ちなみにこの日宿に帰ってからじっちゃんのことちょっと調べたんですが、
鵺を退治して、その鵺を埋めた場所とされる場所のひとつが、清水寺みたいです。
wikipedia 鵺
・・・そう思ってみると清水寺もちょっと楽しみが増えますね

ちなみに同じwikipediaのページに

別説では鵺の死霊は1頭の馬と化し、木下と名づけられて頼政に飼われたという。この馬は良馬であったために平宗盛に取り上げられ、それをきっかけに頼政は反平家のために挙兵してその身を滅ぼすことになり、鵺は宿縁を晴らしたのだという。

とありましたが、この馬についてはこちらが分かりやすいかと。
(上で以仁王の乱のリンクとして貼ったのと同じページです)

このへんも大河の義経見ると分かりやすく描かれてるのでちらっとおすすめしたいとこなんですが・・・

このあたりのお話読んで、
ゲームでししおーが肩に担いでる鵺って、二次でよく描かれてるような友好な関係なのかな・・・?
って思っちゃいました
(むしろあれ本当に鵺なのか?って疑った。でも図録見たらしっかり鵺って描かれてた)

このあともつらつら京都旅行ログです~~~

追記:
これ書いたあとでししおーが内番終わって帰ってきたんだけど、
「馬の世話、じっちゃん好きだったなー」って言いやがって
ものすっごいうおおおおおおおおおおおってなった。