花山稲荷

花山稲荷

今回は花山稲荷について記事を書こうと思います!

こちらが公式のサイトなのですが、

花山稲荷サイトキャプチャ

いきなりばっちり三条小鍛冶が載っています!

花山稲荷と三条小鍛冶

毎年11月になるとあちらこちらの神社で「おひたき」が行われますが、この火焚祭は「ふいご祭」ともいわれ、もともとは鍛冶師の祭りでした。
当社は古くから金物と神様としても有名で、かつて三条小鍛冶宗近が、当地の埴土で「ふいご」を築き、花山大神の御神助により一世一代の名剣「小狐丸」を鍛えたといわれ、その後伝え聞いた諸国の鍛冶師たちは先を争って当社に参詣したと伝えられております。

一条天皇の頃(西暦1000年頃)、京の三条白川の辺りに住んでいた鍛冶師、小鍛冶六郎宗近は当社を崇敬すること厚く、常にも当社に参詣し大神様の御加護を願っておりました。
そんな時、「名剣を打て」との勅命を承り、宗近は一世一代の仕事をしようと身を清め、一心に花山大神に祈願し、当社の埴土で「ふいご」を築き仕事を始めますと、どこからともなく三人の童子が現れて相槌を打って宗近を援けました。
その相槌の技はとても子供のものとは思えぬ立派なもので、忽ち所望の名剣が出来上がりました。
しかし三人の童子はいつの間にか何処へともなく姿を消しておりました。
宗近はこれこそ花山稲荷大神の御加護と思い、剣に「小狐丸」と名付けました。
この宗近の仕事場の跡は聖跡と崇められ稲荷塚と呼ばれるようになり、宗近の跡を慕って全国の鍛冶師は先を争って参詣したと伝えられております。


花山稲荷「三条小鍛冶」

当社の埴土で「ふいご」を築き・・・・」というのがいまいちピンとこなかったのですが、
埴土は粘土質の土のことで、ふいごは革製の手持ちのもの以外にも、
たたら製法のやつもふいごと言うみたいなので、
おそらくここの土で大型のたたらみたいなのを作ったってことなんでしょうか
たたらはもののけ姫で女たちが踏んでるあれですよね

いざ花山稲荷へ!京都郊外

さて、京阪沿線の旅を続けていた旅行3日目でしたが、
三条の駅で京阪線を離脱して、
東西線で椥辻(なぎつじ)という駅まで向かいます

ここから歩いて向かったのですが、
道が未知の上に距離も結構あったので、しんどかったです・・・

山科川
山科川

道中にあった山科川。
子どもがジャンピングダイブしてました
飛び込めるってことは結構深いのかな・・・・・

ナビタイムで見たら「徒歩23分」ってなってたけど、
案内も特にない道のりを間違ってないか不安がりながら歩いたので
体感時間は40分くらいあった気がする・・・

御参拝のご予定がある方には、バスを使うことを強くお勧めしておきます
ケチるんじゃなかったね。

田んぼ道を不安な気持ちで辿って・・・・・

花山稲荷入り口

あった (;ω;)

花山稲荷鳥居

こちらが花山稲荷さんです
地元のお稲荷さん感が万点ですが、でも手入れは行き届いてるなって印象を受けました

鳥居から本社までの間、左手に幼稚園だか保育園だかがありました
子どもの声が響き渡っていて、
それが伝説にあった「相槌を打った三人の童子」を彷彿とさせて、
なんだか感慨深かったです 。

案内板

境内に三条宗近についての案内看板はなく、
唯一あったのがこれ。

吉光ってある石碑

裏手にあった石碑
たぶん関係ないだろうな~とは思ったけど
吉光の名前に引っ張られて撮っちゃいました

花山稲荷

16時過ぎに着いたので日も傾きかけてて、
西日が木の葉の間から透けてさしこんでて、
赤い旗と映えて、すごくきれいでした

1000年前の刀匠がお参りしていた場所が今もあって、
そこにいまわたしがいるんだなって、
それも「お参りする」っていう、
同じ立場で同じ場所に立ってるんだなっていうのが、
なんかすごいなあって、
じわじわ思いながら突っ立っていました

宗近の跡を慕って全国の鍛冶師は先を争って参詣したと伝えられております

とも記載がありましたので、
三条宗近以外にも
たとえば京に在していた五条国永、粟田口吉光、堀川国広、来派、
それ以外でも、都に何かの折に足を踏み入れた刀匠は数多くいたでしょう
彼らもここに参拝していたのかも、と考えると・・・・

刀匠自体をお祀りしてる鍛冶神社のような場所も胸が高まるのですが、
こうやって同じ立場に立てる、ってのも、感慨深いですね・・・・・・

稲荷塚を探して

本殿に向かって右側の赤い玉垣の中にあり、「稲荷塚」の石碑と元禄十二年(1699年)の銘のある石灯篭の基部が残っております。

・・・この宗近の仕事場の跡は聖跡と崇められ稲荷塚と呼ばれるようになり、宗近の跡を慕って全国の鍛冶師は先を争って参詣したと伝えられております。
先述の石碑や石灯籠のほかに、昔この場所に立っていた駒札から当社の稲荷塚が数ある稲荷塚の嚆矢であろうか思われます。

花山稲荷サイト

ちなみに、

【嚆矢】こうし
物事のはじめ。

たそうです。
難しい言い回ししますね花山稲荷さん・・・・

というわけでこの「稲荷塚」、探してみたのですが、
「右側の玉垣・・・・・・・・・(・ω・;)?」
って、たしか玉垣は赤い柵みたいなやつのことで良かったよね?と思いながらうろうろと探すものの、
なかなか見つからず・・・・・・・・・・

玉垣・・・?

「右側の・・・・え~、でもこんなもさもさに木が生えてるし違いそう・・・・」

と思いながらうんとこしょ、と身を乗り出してみると、

稲荷塚?

「あっ!?これ!!??!」

だいぶ見付けにくい感じになってますが、おそらくこれが噂の稲荷塚のようです
花山稲荷さんのサイトでの書き方だと、
ここの土を使って別の場所にふいごを築き、そこで童子に相槌を打ってもらったのか、
それとも「宗近の仕事場」という表現通りに、ここのまさにこの場所が仕事場だったのか、
どちらでも取れるような文章だなと思うんですが、
後者の読み取り方であってるとするならば、

ここが小狐丸生誕の地です!!!!!

ってわけですね!?

一日目に行った相槌稲荷についての記のほうでは、謡曲に残る小鍛冶の伝説をご紹介しました。

合槌稲荷明神
合槌稲荷明神

謡曲のほうでは、「自宅(三条粟田口)近くのお稲荷さん」に大成祈願をし、
「気高い若者」が相槌を務め、「『小狐丸』という名にしてはどうか」と言って去って行った。
故に宗近はこの若者が狐だったのだと思い、その狐を祀ったのが相槌神社。
という流れになるみたい?と思ってたのですが・・・

う~ん、でもこちらの日本語と日本文化というサイトにおそらく謡曲ままの文が載ってるんですが、
単に「童子」と書いていたり、「某が氏の神は稲荷の明神なれば。これより直に稲荷に参り。祈誓申さばやと存じ候。」となっていたり。
「童子」という言葉が「子ども」のみを指すものなのか、広く見て「若者」のことも指す言葉なのか、
ってあたりは古文に詳しくないからそんなよくわかんないし、
「稲荷の明神」ってことはとにかくお稲荷さんというだけでどこのお稲荷さんに参拝したのかまで名言されてるわけじゃないんですね。

こちらの謡蹟めぐり 謡曲初心者の方のためのガイドでは「稲荷明神は伏見稲荷のことでは?」みたいなこと書いてあったりするし、
謡曲は割と固まったコンテンツだと思いきや、深入りしてみるとかっちり決まってるわけでもないんですね

っていう、謡曲の立場とは別の側面から、
ここが三条小鍛冶と小狐丸のゆかりの地ですよ!花山稲荷さんは主張してらっしゃると。

まあ史実に忠実だから偉いとか偉くないとか、
そういうのは歴史研究の場面においての話な訳で。
伝説、伝承、文化を楽しむ身としては、
それがもしも間違って伝わっていたとしても、
その、そうやって伝わってきた経緯だってひとつの事象として楽しめばいいんじゃないかと。

そんな中の、ひとつの類話的伝説がこの花山稲荷の地にもあった、と思えば、
我々はそれでいいんではないでしょうか

って感じでふんわり楽しむスタンスのオタクです!

花山稲荷

ちなみに、社務所は隣接していましたが、窓口があるタイプの社務所ではなく、
ごめんくださーいってしなきゃいけないタイプの社務所さんでした
「おじいちゃん来ますように♡」
なんて書かれた絵馬がちらほら掲げられていましたので、
絵馬やご朱印もおそらくこちらにお声をかけていただかなきゃいけないみたいです

開いてる時間調べ忘れてて、
「16時過ぎてるしもう仕舞いかもな、ご遠慮しとこ・・・」
と思ってご朱印いただきませんでした(チキったとも言う)

今改めて調べてみたけど、空いてる時間載ってないっぽいですかね・・・?
ついでに今公式サイトさんで発見した、
眷属さん付きのお守りなるものがすごくかわいかったです・・・・

眷属さん

木に囲まれ、子どもの声が響いて、
小さなお社がたくさんあって、
お稲荷さんちょっと怖いなって思うタイプですが、
それでも居心地のいい神社でした

願わくばうちの本丸にも小狐丸がくることを。
(ながそねとこぎつねだけいません)

「耳をすませば」の、通称:杉村玉砕神社に雰囲気似てるかな?笑

京の五条の大橋、見渡す限り敵は無し

このあとえっちらおっちらまた駅に戻り、
五条大橋を見ていきました。

まるまるふくふくしてる(^ω^)
橋のたもとに像があるのかと思いきや、道路のど真ん中でした

尋常唱歌の『牛若丸』によれば、五条大橋は弁慶と牛若丸が出会った場所とされる。
ただし異説もある。
『義経記』によれば2人の出会いは清水観音の境内とされる。
また、平安時代の五条通は現在の松原通に相当することから「五条の橋」は現在の松原橋付近とする説や2人の出会いの地は西洞院であったとの推測もなされている。


(wikipedia五条大橋より)

とのことで、こちらも史実とは言い切れないゆかりの地。
ま、やっぱりそれはそれで楽しいですよね!

個人的にですが、このとき弁慶は
「牛若丸が腰に佩いていた太刀に目をつけて挑みかかった」
らしいです
このときの太刀、どんな刀だったのかな~~!!
とか思っちゃいます

真実と虚構の間を揺れる物語を旅する一日の暮れ

この日の旅程はこれにて終了!

5日目の朝には新幹線に乗って東京に戻ってしまうので、
京都旅行の実質最終日はつぎの4日目!

あいにくの雨模様+着物DAY2日目で活動量すくなめだったのですが、
まあ最後なんでよろしくお願いします!

この日の旅程はこれにて終了

このあと五条から三条まで鴨川沿いに歩いてみて、
三条で池田屋跡の居酒屋に(女ひとりで)入ってみようとしたけど、
お客さんいっぱいであえなく退却してきました
月曜の夕方だったのに!月曜から満杯とか!!
新選組人気ぱねえって感じです

夏の夕暮れ時の鴨川、
少しずつ明かりがともっていくのを見れて、
とてもきれいでした~・・・

5日目の朝には新幹線に乗って東京に戻ってしまうので、
京都旅行の実質最終日はつぎの4日目!

あいにくの雨模様+着物DAY2日目で活動量すくなめだったのですが、
まあ最後なんでよろしくお願いします!

この記事はにわか刀剣ファンの聖地巡礼記からお引越しした記事です。