最近カラオケで歌えるようになりたい曲No.1です
この手書き動画が完成するのを家康の辛抱強さでお待ちしております・・・
というわけで(←)、建勲神社に行ってきました
建勲神社は、明治2年(1869)、明治天皇の御下命により創建された、織田信長公をお祀りする神社です。
京都市北区紫野北舟岡町49
(公式ツイッターより@kenkun_jinja)
四条エリアから地下鉄で北大路バスターミナルまで。
ここで京都市バス1日乗車券を購入しました
500円で、だいたい3回乗れば元が取れますので、
だいぶ便利です。
北大路BTからわりとすぐにバス停建勲神社前に着きました
そこから手持ちの地図を頼りに歩く・・・
特に道案内とか路上に出てないので、だいぶ不安でしたが
「たぶんあのこんもりしてるお山がそうなんだろうな~」と思いながら
自分を信じて歩く・・・・・(つらい)
この看板見つけてどんなに安心したか!
(やっぱりこのときも表参道じゃない参道を歩いていました
わたしいつもそうですね)
もともと建勲神社そこまで行く気ではなかったのですが、
もみじ系の木がたくさん植わってて、夏の盛りの緑色で、
それが欄干や鳥居の朱色と映えて
個人的にはとても好きな風景でした
船岡山という地名の通りに、ちょっとしたお山になっていました
相変わらずこの日は着物でした。
なんで着物で山ふたつも登ったんだろうね!バカかな!!
でも霊山よりは楽でした
えっちらおっちらとお山を登る間、
すれ違ったのはお嬢さんがおひとりだけでした
あのお嬢さんもさにわさんだったでしょうか
社務所でご朱印いただくときに、粟田神社のご朱印帳を出すと
「あっ、粟田さんとこの!」
って言っていただいたので
「はいっd(*⌒▽⌒*)!!」ってめっちゃいいお返事してしまいました
書いていただきながら
「お着物すてきですね」とか
「地蔵盆の鐘がなってますね」とか、
なんかやたら気さくにお話してくださいました
めっちゃノリのいいおじさまでした
ほんの数分ですが楽しかったです
境内には敦盛の石碑とか、
舞舞台とかがありました
先ほども書きましたが
「まあ行けたらいくわ~(行かないフラグ)」
くらいの気持ちだった建勲神社さんだったのに、
行ってみたらめっちゃ満足しました
社務所の方も周辺住人の方も、
境内の雰囲気もとってもよかったです!
いってよかった~!
信長って「人を殺しまくった殿様」ってイメージが強くて、
いまいちその功績がピンときてなかったのですが、
境内の説明書きでは
「動乱の時代を収束に導いた」という書かれ方をしていて、
なるほどそういう捉え方をすることもできるのか、と目からうろこポロリでした
ついでに、
この神社できたの明治なんだ?!けっこう遅いのね?と思ってちょろっと調べてみました。
戦国の三傑で天下人となり、信長の家臣であった豊臣秀吉や徳川家康は、没後間もなくに「豊国大明神」、「東照大権現」の神号を既に与えられていた。
秀吉の世になって、信長が神号を得ることに不可能はなかった筈なのに、それが成りえなかった謎は、明智光秀の謀反である本能寺の変の首謀者に、秀吉説や朝廷説を産むというものである。
ClubFame
とこちらのClubFameさんのサイトに書かれておりました
本能寺の変から300年以上経ってからの建立ですものね、
なにかしら障りがあるからこそこんなに時間が必要だったんだろうな、とは思いますけど。
おなじページですが、宗三さんの来歴もしっかり書いてくれてありましたので、
ご一読をおすすめします(^ω^)
2015年1月以前に発売された本ではたいてい、
宗三さんを義元左文字という呼び方してることが多いな、っていう印象なんですが、
あえて宗三っていう呼び名を採用したのは
「その刀剣がもっとも輝いた時代を反映したキャラクターをつくる」
っていう芝村氏の意向のためかな、って思うと、
宗三さんてなんだかんだ言って
信長のお気に入りになったことで、
それがその刀のもっともの魅力ってことになっちゃってるんだなあ、って・・・
とうらぶにおける付喪神っていうのは、
刀剣そのものではなくて、
その刀剣について語られた物語とか、そこに積み重ねられたイメージとか、思いとか、
そういうものが力を持って神の末端として存在してるんだろうな、って、
そういう解釈してるんですけど、
そしたらもう宗三さんは自分が憂いてる籠の鳥な来歴が、それがないと存在できないんだから、
もーーー闇が深いって言うかなんていうか?そんなかんじですねまったく??
あと個人的には自分が静岡県民なので、
今川義元語りしてくださいよ宗三さん~みたいなことちょっと思うのと、
やっぱ大判焼きは「今川焼き」って呼ぶ派なのかなあってどうでもいいこと考えたりもします。
そしてさらに個人的なポイントを言うと、
三好宗三⇒武田信虎⇒今川義元と渡り、
そのあと信長のところですりあげされ刻印され、
そんで信長亡きあとは秀吉、秀吉から息子の秀頼に渡ったそうです。
秀頼さまに過剰反応するなまずお厨はわたしですよ(^ω^)
つまり一時期はなまずおといちごさんとほねばみと同じとこにいたわけですね。
ここポイントです。
秀頼さま、のちに宗三左文字を家康にプレゼントします。
ここもポイントです。
家康さん、大坂夏の陣で宗三左文字を帯刀してたそうです。
はいここ大事ですテストに出ます。はあああああああ家康まじ傷口に塩塗りこむマンだわこんちくしょう!!!
一時はおなじとこにいたそうざさんとなまずおが敵味方に分かれて対峙するとか
あああってなるんですけどわたしだけですかね!
なまずおは記憶ないしあっけからんとしてるから
そうざさんのほうは
忘れててくれて好都合覚えてたとしてもまあそういう時代でしょ今更どうこう言ったってどうしようもないし
みたいに装ってるけど
ちょっと気にしてまさか覚えてたらどうしようとか思ってたりして
あるときなんかめっちゃ喧嘩してなまずおの優等生ピエロ面がはがれちゃって
ほんとはあのときのこと覚えてますよ俺の主を殺したくせに!!
みたいなことになったりしちゃったらめっちゃつらいけどすごい胸アツだわなんて
ごめんオタクこじらせてるからこういうこと考えて勤務中よくぼーっとしてます
ちなみにこの帯刀してたって話のソースはネットなんで
間違ってたらごめんなさいこじらせてたんだなって思ってください
(ソース:【刀剣乱舞】合戦場「江戸の記憶」に秘められた歴史解説)
そんなこんなで船岡山をこんどは表参道から下山して、
周辺は住宅地なので道が分からなく、
そのへんの人に「バス停どっちですか?」と聞きながらバス停まで辿り着きました
中学の修学旅行のときから感じてますが、
京都の方って、ほんとうに丁寧に道を教えてくださいますよね
ありがたいです
そのあとはバスをてきとうに乗り継いで、銀閣寺方面へ。
田舎のバス路線みたいに事前に時刻表とか検索しなくても、
しばらく待ってればすぐバスが来るからほんと楽でいいですわ
一日券でしたので料金も気にしなくて良かったですし・・・
観光ピーク期だと渋滞の影響を受けることもあるようですが、
夏休みずらした時期でしたのでそういうこともあまりなかったです
この日最後の訪問地は洋館カフェのGOSPEL
銀閣寺のバス停からちょっと脇道にいったところで、
穴場らしくお客さんも少なめで落ち着いたお店でした
天井が高くて、ヨーロッパの飾り気のない個人宅って雰囲気でした
この日の旅行ノートには「そろそろつけものとか食べたい」と書いてありますw
行く先々で甘い物を口にいれがちの京都ですね・・・
ようやく京都旅行レポ2日目がこれにて終了です!
3日目は鞍馬行ったり伏見行ったりのハードワークな一日なんですが、
今週中に書き終わるかな~~(^ω^;)
今週末名古屋行って徳川美術館と熱田神宮いくので、
その前に終わらせたいな~~~・・・・・
この記事はにわか刀剣ファンの聖地巡礼記からお引越しした記事です。