ソメイヨシノって江戸時代にできた品種だから、今その辺に生えてるソメイヨシノはみんな人間が選んで植えたやつなんだろうと思うんですけど、この季節に外を出歩くとこんなにいっぱい桜があって、
(ほんとにいっぱい!普段の花のないときは目につかなかったけど、花が咲くと「これみんな桜だったんだ!」ってなる!)
日本人ってほんと桜好きね!ってかわいくなっちゃいません?わたしはなる。
普段地下鉄生活で仕事中に外出するような職種でもないしで全然外に出ていなくてこんなにそこら中桜が咲いてて、みんな浮かれてそれを見上げてぴかぴかした顔で写真撮ってなんかもうみんなほんとに桜好きね!ってかわいくなっちゃう。
日本の国花は桜と菊だけど、「一年でたった五日間しか咲かない桜を日本の象徴みたいにするのは外国に対して無理がある」とかいうツイート読んで、その時は確かになあって思ったんですけど、でもしょうがないですよね、日本人ほんとかわいくなっちゃうくらい桜好きなんですもの!
とか言うわたしも、「薬師寺の刀剣展行きたいな、でもせっかくなら桜の時期がいいな!」って勢いで桜と刀を追っかける旅2018開催いたしました。
今回はそのログとなります~
行った日:2018/3/30(金)
行った場所:
・石切劔箭神社
・薬師寺(「噂の刀展」)
・大阪城
ちなみに去年もだいたい似たような旅程の旅をしています。▼
フィルムカメラと旅する、まずは桜の大阪・石切
さて、木曜日の夜に東京駅23:30発の夜行バスに乗りまして
金曜日朝7時過ぎに大阪駅へ到着!
ちょいちょいと身支度を整えて、新石切駅へ
駅前のミスドで腹ごなしをして、石切劔箭神社です!
石切劔箭神社(石切さん)
石切丸の所蔵元としておなじみ。
例年は春季大祭で宝刀の展示があるのですが、
今年はお手入れのため石切丸は出ないそうです。
▼去年9月の特別公開のレポ
神社についたのが9時前くらいで、最初にお参りして、
お百度踏むつもりだったので先に桜の写真撮っちゃおう~~って馬屋のほうへ行ったんですが
たぶんそこから1時間くらい写真撮り続けてましたね…?
朝だから光が良くて…
天気もいいから空の青もいい感じだし…
桜舐めからのお馬さんが撮りたかったのですが
お馬さんが一定のポジションからちっとも移動してくれないのでうまくできませんでした。
こんなにいい天気で桜撮れるの楽しすぎたし平日だしなんの催しもない日だから人も少なくてひとりでルンルンで写真撮ってたら桜吹雪が起こってぶわーっと顔に当たって桜まみれになりました、春のシャワーを浴びているようでとても気持ちよかったです。
(記事タイトルはこれが元ネタ)
一時間くらいじっとりと桜を撮りました…
プリズムを映り込ませるのが好きで、今回も微妙に角度変えつつ光を狙っていたのですが、こうやってプリズムをとらえようとする感じ、刀を見るために光を乗せるのに似てるなって思います。
そのあとまじめにお百度踏んで、終わったら11時少し前くらい。
新石切駅~石切神社間の道にあるearly’s cafeで軽めのお昼にしました。
東大阪・石切神社参道に「EARLY’S CAFE」 SNS上の架空店舗から開業 – 東大阪経済新聞
スコーンとマイルドコーヒー550円
前回来た時にも来店したのですが、軽やかなおいしさが好みでリピです!
さて、新石切から西ノ京駅へ!
お次は薬師寺です!
奈良薬師寺|Yakushiji Temple
噂の刀展Ⅲが開催されています。
毎度おなじみ財団さんのパワーをひしひし浴びれる展示です!
期間は2018/2/8~4/8。
2/24,25には大倶利伽羅の特別展示もありました。
薬師寺の各展示をまるっと見学できる「共通券」は1600円なのですが、刀剣展のみ別途でプラス500円となります。
噂の刀展も3フェーズ目
この展示、ほんと「目で見る教科書」的展示となっております!
肌に主軸を置いたスペースでは「この角度から見るとよく見えるよ!」ってのがわかるように展示ケースに四角い枠を作ってくれてて、そこからのぞき込めばいいし、刃文に主軸を置いた展示のスペースなんかは沸え匂いがわかるように拡大ルーペが置かれてるし、「最近の研究でこういうことがわかりました!」って刀には図解が展示されているし…
また、そのような刀剣鑑賞のイロハ以外にも、例えば村正の師である刀匠の刀が村正と並んで展示されていたりとか、「五条国永は鶴丸国永などの作者であり、三条宗近の弟子、子などとも言われています」と言う感じであきらかに刀剣乱舞から入った人向けに書いてますね!っていう解説の書き方をしてくれています。
ほんとね、展示の本数が多いのでくたびれるっちゃあくたびれるんですけど、刀剣乱舞から入って刀剣鑑賞に足つっこみはじめたような人にとっても優しい展示だと思います。
回を重ねるごとにわかりやすさマシマシになっている気がする…?
財団さんの展示は利益度外視で、「長い目で見て刀剣業界に貢献してくれるように教育する」という方針で展示を行ってくれているそうなので、今は「コラボしてない刀剣展はあんまり行く気にならない!」って人も、もし「もっと知りたい!」って気持ちが出てきたら是非足を運んでみて…とおすすめしたいところです。
さてさていろいろつらつら書きましたが、わたしも今回は刀剣鑑賞というより、実物の刀剣を教材にして教科書的知識を新たに仕入れたりおさらいしたりが多かったので、気になったものを何点かだけご紹介します!
●重要刀剣 豊後国行平
たしかこの刀と同じ刀掛けに4振りが置かれていたのですが、その4振りを何もキャプション見ない状態でさらっと見て、その中で「あれ?これ気になる!」となったのがこの豊後行平。
なにが気になったんだろう?って自分でもよくわかんなかったんですが・・・樋かなあ?太いのが一本と、細いのが一本入っています。
そこからなかごにかけてのラインがなんとなく全体的にやわらかくて、練り切りの綺麗なお菓子みたいだなあという印象でした。
きっさきがきゅっと小さいので古い刀なんだなって納得はするけど
肌が綺麗で田舎っぽさはぜんぜんないんですよね。
行平は平安末期~鎌倉前期の古い時代の刀匠。
7~9世紀に断続的に起きていた大和朝廷vs蝦夷の戦争で多くの奥州鍛冶が都や大和に連れていかれ、大和地方で作刀するようになりました。
その一団、あるいはその子孫とされ、行平ももともと奥州の人で、奥州鍛冶の娘を娶って共に九州へ渡ったとされるとか。
…豊後行平という名前は知ってたのでとにかく九州というイメージしかなくて、
もともと奥州の人なんだってことこれまで知らなくて。
平安時代に奥州から大和、そして九州へと渡るってとんでもないことじゃん、って思うんですよね。
旅の果てに何を見つけたんだろう。
(最近梨木香歩の「渡りの足跡」を再読してるところです)
●不動国行写(信国源重包作)脇差
江戸時代中期のもので、とにかく彫りがやばい!!
刀剣彫刻ってすごく緻密なものからデフォルメされたものまでいろいろありますし、それぞれがそれぞれの良さがあるんですけど、これはとっても緻密。
緻密にしても指先でなでることくらいしか想像できないんですけど、
これは指先でなでるどころかつまめるな!?!?ってくらいに強弱しっかりの上の緻密!
江戸時代って今より照明も暗かったし眼鏡だってそんなたくさんはないでしょう…?
もちろん機械だってないでしょう…?
ワッツハプン…???って感じでした。
●平安城長吉 短刀 銘長吉
今回のお気に入りでした!
室町時代中期で、初代村正の師匠とされる刀匠。
村正は刃文の表と裏が揃うことが特徴のひとつなのですが、長吉もきれいに表裏が揃うんだそうです。
(と言われても表と裏が揃ってるかなんて手で持つような鑑賞じゃないと見れないけどねー!)
これはすごく肌が白っぽい感じがしたんですけど、それが霧のようで、それに加えて刃文が筆ですっと線を引いたみたいな感じで、
水墨画で書かれた山の朝の風景のような?
すごく絵画的な刀だなって思いました。
●その他小ネタ的知識・感想いろいろ
〇津田助廣
銘の書き方によって「角津田」「丸津田」と区別される←知ってた
丸津田が時代的には後←知ってた
角津田までは業物位列で大業物(上から2つ目)だが、
丸津田になると業物(上から4つ目)にランクが落ちる←知らなかった!
〇真田幸村の正宗
財団さんの展示でだいたい見てるので「また会ったなー!」と思いました。
わたし正宗でピンとくるものに出会っていないのですが、この正宗は刃文がわかりやすいしよく会うから見れば「またお前だなー!!」ってなるから、そういえば一番愛着のある正宗はこれかもね、と今回初めて思いました。
秀頼様から下賜されたってあたりも愛着ポイントですし(わたしは鯰尾推し)。
〇之定
二代目兼定、定の字をうかんむりに之と切るので通称ノサダです。わたしの初期刀は歌仙兼定です。
之定が並んで展示されているところのキャプションで書かれていたのですが、之定は西郷隆盛の愛刀だったことでも知られているんだとか。
上野公園にある西郷さんの像が差している脇差は、之定の脇差ともいわれてるんですって。
初めて知った!
〇左文字
左文字一派は南北朝時代に南朝に属していたため、北朝優勢になると衰退していった。
その後一部の刀工は福岡・佐賀・山口などへ移り作刀を続けた…
ということがキャプションに書かれていました。
政治的要因による趨勢…
〇加州清光ふたふり
以前にも見たのと同じ清光!
以前も思ったのですが、やっぱりこの二振りのうちで「出来が悪い」と書かれているやつのほうがわたしは好きなんですよね。
もちろん肌に粗があるのは見てわかるし、もう一振りのほうが評価はいいんだろうなってわかるんですけど刃文のふちの沸えのきらきらが、ほんと綺麗で。
勝手に海の清光とあだ名をつけています。
浜辺に海藻とか海ガラスとか貝のかけらとかが、波打ち際の線をなぞるようにずうっと並んでいるのに似てる。
〇丸津田の助廣
わたし助廣好きなんですよ!銘かわいいし!
この助廣はちょっと地味目なとうらん刃ですが、ぽんぽんと飛び焼きがあってかわいい!
飛び焼きと言えばもっとなりふり構わぬ感じのものってイメージだったのになんなんですかこの計算されつくしたようなかわいい飛び焼きは!
かわいいは作れる!ですか!いいぞもっとやれ!
トーハクで丸津田の助廣が出ることあるんですけど、とうらん刃がとっても綺麗ですよ!
見ることがあったら気にしてみてください!
花会式の季節なのでいろいろと催し物があったのですが、太鼓の奉納と野点の席がありましたので見学と一服いただいてきました。
飛鳥太鼓というグループの方々の奉納だったのですが、
女性だけでやった曲が楽し気でよかったです。
各メンバーの見せ場があるって感じの曲で、「うんうんこりゃ楽しくなっちゃうよね!」ってなる。
うちのおばあちゃん軽率に薬師寺に行く習性があるんですけど、
おばあちゃんがよくお土産にくれるお干菓子がお茶菓子でした。
これお湯に溶かすと葛湯になるんですよ。わたしは詳しいんだ。
桜の踏切は今年もとってもきれいでした。
去年は天気がいまいちだったのですが、今年は天気もいいし西日の時間だったので光がいい具合で。
こんなに恵まれて幸せったらないね!
わたしが石切さんに行くときは高確率で雨、(秋なんて台風だったし!)大倶利伽羅関連のとこに行くときは晴れか、雨の日でもそこにいる間だけ止んでることが多くて、石切丸さんは雨男、おおくりからは晴れ男、って勝手に呼んでるんですけど、今回はからちゃんの晴れ男パワーが勝ってくれたようでよかったです。
さて、じっとり西日の桜を撮って満足したら、夕方から大阪城へ。
もう天守閣に上がるには時間足らないのでそこはあきらめてますが、
大阪城公園だけでも行ってこようかと。
(※ちなみにここから下はだいたいこじらせたオタクの聖地巡礼記です)
大阪城、2015年の秋にも一度来ていて、大阪城の豊国神社や天守閣は見たんですが、
そのとき行けなかった場所があって。
山里丸
山里丸。
大阪城落城の際、豊臣秀頼、淀君らが自刃をした場所とされています。
いろいろと説はあるんですが、
①首のない死体のすぐそばに焼けた鯰尾藤四郎があったため、この死体が豊臣秀頼だとわかった
②逆に、首のない死体は豊臣秀頼だとわかっていて、焼けてよくわからない刀だが秀頼のそばにあるので鯰尾藤四郎だとわかった
③豊臣秀頼は自刃に鯰尾藤四郎を使用し、秀頼の体内に刃があったため、鯰尾は焼けているもののまだ再刃できる程度の損傷具合だった
などの説が伝えられています。
ちなみにこれらはツイッターで知った情報で一次資料を当たったりはしてないのでふんわりと聞いてください。
「秀頼とか言われてもイメージ湧かんわ~~」って人には花丸2期2話で骨喰が「中から兄弟を取ってくるだけだから人間の歴史には影響が出ないはずだ!」っていう理屈で開けようとしていた扉がこの山里丸の扉だと思われます。
(ていうかさ~~~あそこで扉の向こうにはこれから死のうとしている自分のもとの主とその傍らにある自分自身があるってわかった上で骨喰を諭して笑って見せてるんだとしたら、鯰尾まじなんなの???ほんときみなんなの???あるじをどうしたいの??????)(わたしは鯰尾推し)
まあ行きたいじゃないですか。宗教上の理由で。
しかし前回来た時、地図で見ると天守閣の裏にあるはずなのに全然見つからなくって、
その時は次の予定もあったのであきらめて、それっきりになっていたのですよね…
さて、そんな思いを胸に抱きつつ山里丸リベンジ。
桜がいっぱい咲いてて、みんな陽気にお花見の準備をしたり、観光の外国人がセルフィ―撮ってたり。
ここで昔おおきな戦があったんだ、なんて嘘みたいに綺麗で平和でした。
前に来た時も「大阪城韓国人多いな!なんで!?韓国人秀吉嫌いじゃん!」って思ったんですけど、きっと韓国の人にとって「日本の歴史上の人物で嫌いな人No.1」が秀吉なのと同時に「日本の歴史上の人物で知ってる人No.1」も秀吉なんだなって。
「夢のまた夢」とか言いながら、それが400年経ってこういう未来に繋がってるんだから、秀吉のやったことって(全然いいことじゃないけど)意味があった(?)みたいな。
う~んどういう言い方をしても語弊を生みそうだけど。
やっぱり今回も天守閣の後ろをうろうろして見つけられず、どーすっかな~~~って思ってたらチャリで来ていたおじさんを見つけ、「チャリなら確実に地元の人だ!」と声を掛けて「ここの下だよ」と教えていただきました。
念願の、山里丸
天守閣の裏ではあるんですが、一段低くなったとこでした。
うおおおん。
大阪城を歩くあいだずっとバンプのHAPPYを聞いていて(個人的鯰尾修行イメソン)セルフで自分をいじめる作業をしていて、ここにたどり着いてしまったらなんかもううわあ言葉にならないここが、ここが、という感じだったのですが。
そうだここで「明日天気になあれ」を聞こう…と聞いてみたら
あ~もう大丈夫だな、大丈夫なんだろうな、って思えてきました。
ちょっと昔までは、大阪城のあたりって落ち武者の幽霊よく目撃されてたんですって。
それが最近は全然出てこなくなったって。
幽霊も400年しかいられないのかなあ、幽霊と言うよりは、「それを語り継ぐだけの切実さ」みたいなものって、400年くらいしか持たないのかなあ、わかんないですけど。
でもここについた頃にはもう日がすっかり落ちて、天守閣はライトアップが始まって、たぶん日本中いろんなとこから来た人、先祖が東軍西軍にいた人や、それからいろんな国から来た人、韓国から来た人もたぶんいて、みんな「あっライトアップはじまった!」って天守閣を「きれいだねー」って見上げてて。
ていうかそもそもわたしがそれの最もたるものですよ。家康のお膝元出身で母親は韓国人ですよ?
そのわたしが「あー桜も天守閣もきれいだなー」って大阪城公園にいるんです。
なんか、なんかいろいろすごいなって。大袈裟ですけど。
400年経てばわたしみたいなやつがここで馬鹿みたいに観光できるんだ、って。
そんなこと思って胸いっぱいにしてました。すごく大袈裟で、すごく個人的な感傷なんですけれど。
ちなみにさっき気づいたんですが、2話のEDのイラスト、月と桜だったじゃないですか。
まあ月と桜なんてどこにでもあるんですけど。
大阪城…?ちょうどこの時期の大阪城…?
もう考えるのやめよう、出来過ぎているかこじつけすぎているかどちらかだ。
わたしはオタクだから頭が馬鹿になってるんだ…
夢見ごこちで大阪駅まで戻って、帰りのバスの乗り場は梅田芸術劇場の近くのプラザモータープールでしたので、飲み屋がいっぱいある通りでオムライスを食べてLOFTで時間を潰し、バスに乗って土曜日朝、東京に戻ってきました。
春をいっぱい浴びて、帰ってきました!
後半ただのこじらせたオタクでごめんなさいでした。チャリのおっちゃんまじありがとう。来てよかった。
来年再来年は薬師寺の行事が詰まっている関係で刀剣展はできないそうなんですが、そろそろ東塔の修繕工事が終わりますから、それ目当てで行ってもいいかもです。
それではつらつらと書きましたが、何かの役に立っていれば幸いです!
ここまで読んでいただいてありがとうございました!