豊国神社

二日目・豊国神社・ちらっと京都国立博物館

こんばんは。今日も元気にオタクこじらせてます。いざなみです。

ようやく二日目の内容に取り掛かれるようになりました。
亀の歩み。

二日目はこんな予定を組んでおりました

10:00ホテル~豊国神社京都国立博物館
12:00京都国立博物館~フランソワ喫茶室
14:00フランソワ喫茶室~新島旧邸
15:00新島旧邸~円徳院
17:00円徳院~喫茶GOSPEL
19:00GOSPEL~ホテル

この日、実は着物を着ておりまして。
着物で洋館行くのすごくやりたかったので、洋館の新島旧邸だとか、
洋館カフェのフランソワとかGOSPELとかが旅程に入っております

まあ予定はこんなんだったんですが、
だいぶ予定変更して、
霊山歴史館とか建勲神社とかに行ったりしましたので、
今後のレポで実際書く、とうらぶゆかりになるかな~ってのは以下の施設です(-ω-)

●豊国神社
●霊山歴史館
●霊山護国神社
●円徳院
●建勲神社

まずは豊国神社に向かいに、京阪線で七条まで出ます

ぐーーーっと伸びる坂をめげずに登っていくと、
京都国立博物館が現れます

こちらには、骨喰藤四郎秋田藤四郎宗三左文字陸奥守吉行
などの刀が所蔵、委託されています

今回行ったときには展示が無かったので、中までは入らなかったのですが、
みんなの下宿先だね~~
って外観だけ撮ってきました

京都国立博物館
京都国立博物館

このとき門の前に警備員さんがいたのですが、
わたしがカメラ構えてるの見てそっと退いてくださいました
心遣い痛み入ります

このときにはまだ「きょうはくココ稼ぎどころだよ~~??はたらこうよ~~」とか思ってたのですが、
この二日後、このツイートがTLを颯爽と駆け抜けました

豊国神社twitter

はあああああああああああああああもうわたしまた京都行くよ決定だよ!!!!!
たいへんありがとうございましたあああああ

まあこのツイート見たときは、
よりによって京都に遠征してるときに発表されるかよタイミング悪いなわたし
みたいなこと思ってたんですが
落ち着いてみると非常に楽しみです

骨喰をまた見ることができるよ~~~

そして京博を通り過ぎると、
敷地的にはほとんど隣接してます

豊国神社

豊国神社

豊臣秀吉公を祀り、全国に点在する豊国神社の総本社。
境内には北政所おね様を祀る貞照神社も鎮座し、出世開運・良縁成就の神様として崇敬される。 
神社正面には伝伏見城遺構の国宝唐門がそびえ、また重要文化財「 豊国祭礼図屏風」「名物骨喰藤四郎」など多数の宝物を所蔵している。 
飛地境内の 阿弥陀ヶ峯には秀吉公の墓所 豊国廟がある。


公式ツイッターより@toyokunishrine

骨喰のご実家~~(^ω^)

徳川美術館との、鯰尾とのコラボも大変話題になりました

徳川美術館との、鯰尾とのコラボ

第一弾のしおりもそうとう欲しかったんですがあいにくチャンスが無く・・・
今回は無事こちらのブックカバー購入できたので、よかったです~!

境内はこんなかんじです

豊国神社

朝なのもあり、すっきりした雰囲気がただよっておりました

豊国神社
本殿
豊国神社
お稲荷さん

ご朱印を書いていただいてる間に、ご朱印受付所の横に宝物館の案内があるのに気がついて、
宮司さん(?)に「宝物館って何があるんですか?」と伺ってみたところ、
「大屏風が一番のメインで、秀吉公の使ってた枕とかもありますよ」
とのことで、なんやそれおもしろそうと思って、宝物館も入ってみることにしました

なんかその建物自体も、外観は白漆喰の洋風づくりなのですが、
内部は薄暗くて床がすごく軋んで、そのうえ館内に職員さんもなく、入ってるのわたし一人だったので、
なんかすごく不思議なところに迷い込んだみたいな、わくわくする感じがしました
図書館の、古くて分厚い本ばっかり並んでる棚のあたりでひとりでふらふらしてるときみたいな感覚。

展示ケースの中に小さい畳が敷かれてるのですが、
その縁までいちいち桐の御紋が入ってて、細かいなあかわいい~って思いました。

個人的にすごくわーーーーっ!てなったのが、

千秋晩成夢見草車椅子

これは実物ではなく、職人さんが復元してつくったものらしいのですが、
秀吉が秀頼さんのために作られた、今でいうベビーカーらしいです

秀吉は世継ぎに恵まれなく、
正妻のねねさんとの間には子ができず、
淀君との間にできた一子も3歳ほどで亡くなっています。

秀頼さんは秀吉にとって遅くできた(60歳くらいとかだったかな?)子で、
溺愛していたというのは史実なのだそうです。

池波正太郎さんの「信長と秀吉と家康」
という小説を読んだのですが、(幼年の読者向け、とこのことで、だいぶ負担無く読める感じになってます)

それには、秀吉はもう自分が長くないと悟って身辺をいろいろと整理している時期に家康を呼び寄せて、

「どうか秀頼のことを頼む、あの子のことだけが心残りだ、
お前の孫娘との婚約もしていることだから、どうか頼む
それさえあればあとは何も言わないから」

と涙を流しながら家康の手を押し頂くというふうに描かれています。

秀吉自身も親族をあちこちで政略結婚に出したり、政略結婚をさせたり、
そうやって身内になった者でも、いつでもまごころを持って遇していた訳ではなかったのです
何度も道具として利用しました
だから、婚姻の約束ごときが拘束力を持っている訳ではないと、秀吉自身もわかっているのです
分かっている上で、それでも家康に頼み込むのです・・・

っていう描かれ方をしているその秀頼さんは鯰尾の主さんなんです

鯰尾についての情報見てみると、大抵のソースで「豊臣秀頼が好んで腰に指した」
と書かれています
ちなみにその前は織田家にいたみたいです
織田信長の二男、信雄さんの持ち物でもありましたが・・・

ベビーカーの話に戻りますね。
説明書きに書かれていたのですが、
この千秋晩成夢見車椅子、製作期間は3か月ほどだったので、「千秋晩成」とは言えない。
これは作品に対する思いではなく、秀頼の未来に対する願いだったのかもしれない・・・・

とのことでした
老年の秀吉にとって、どんなに願ってやまない未来だったことか・・・

でも秀吉の死後、家康はやっぱりその思いを汲まなくて、
豊臣家断絶のために方広寺の鐘に難癖をつけて、
大阪夏の陣を起こして秀頼を自刃に追い込むわけですよね・・・

ツイッター情報なんでソースとしては微妙なのですが、
秀頼さまの自刃の際に使われたのが骨喰だったっていう説もあるらし・・・・く・・・・・・・

今日も大坂夏の陣の沼は深い・・・

ちなみに神社を出たところから見えるのがこちら

耳塚

耳塚です。

秀吉が朝鮮出兵したときのやつですね
旅行のために資料調べたりしてないです
中高での歴史の授業の知識だけです
それでもインパクト強すぎて覚えてましたよ耳塚

そして豊国神社のすぐよこにあった、コレ

方広寺

ちゃんとした碑とか看板とか見つけられなかったので確証がないのですが、
地図とこのやたらでかい鐘から見て、
これが方広寺の鐘なのかな?と思ってるんですが・・・
違ってるかもです・・・
ほんと見たことないくらいでっかかったからびっくりでした・・・・・・

当初の予定ではこのあと京博の中まで見学するか?とかも思っていたのですが、
やっぱりそれほど興味のない展示なのに無理して見ることもないか、と思い直しまして、
予定にはなかったのですが霊山歴史館のほうに向かいました

次の記事ではそちらについて書きます~~

この記事はにわか刀剣ファンの聖地巡礼記からお引越しした記事です。