武将の備え〜八代城主松井家の武器と武具〜 八代市立博物館未来の森ミュージアム

松井江の拵「朱塗鞘打刀拵」展示中!/八代市立博物館未来の森ミュージアム『武将の備え~八代城主松井家の武器と武具~』2024年3月24日まで

熊本旅行3日目、本日は八代(やつしろ)にやってきました!

八代駅

八代駅は、熊本駅から電車で40分程度の場所。細川家で代々家老を務めた松井家のホームとして知られる街です。ちなみに駅前のくまモンが持ってるのは黄色いボール……じゃなくて、八代名産の晩白柚(ばんぺいゆ)です。

晩白柚

今回のメインは、八代市立博物館 未来の森ミュージアムで開催されている「武将の備え~八代城主松井家の武器と武具~」という企画展。これが2月9日からだったので、熊本県立美術館の展示と梯子できる旅行日程にしてたんだよね。

未来の森ミュージアムは駅から2キロほど離れた場所にあります。バスもあるんだけど、「まあ40分なら、昨日は1日中車で運動量少なかったし、歩くか……」とてくてく歩いて向かいました。

博物館へ

歩きながら思ったことが「あんまり城下町っぽさがない」ということ。駅から博物館までの道は往時の主要エリアじゃなかったってことだろうか、港があるはずだからそっちの方が「街」なのかな?……などと思いつつ、博物館に到着です。

八代市立博物館未来の森ミュージアム

八代、くまモンの扱いが丁重(なんかやたらと立体のくまモンがいる)。

武将の備え~八代城主松井家の武器と武具~

武将の備え〜八代城主松井家の武器と武具〜 八代市立博物館未来の森ミュージアム

現在開催中の展示「武将の備え~八代城主松井家の武器と武具~」。細川忠興(三斎)の死後、八代の城主を務めるようになった松井家は、代々細川家の家老を務めてきた家柄です。

2代興長が主君(細川綱利(忠興のひ孫にあたる)、当時18歳)に出した「わたしはもう79歳、明日をもしれぬ我が身です。他の若い連中はあなたに意見するのが怖くて言いませんけど、まあわたし老ぼれですからね、言いますよ、ええ」っていう5mのお手紙が有名です。

そんな松井家には500点超の武器・武具が伝来しており、今回はそれらを紹介しつつ「武器・武具の実用性を超えた意味」を見せる展示となっています。

松井江の拵「朱塗鞘打刀拵」

武将の備え〜八代城主松井家の武器と武具〜 八代市立博物館未来の森ミュージアム

その中でも特に目玉となるのが、佐野美術館所蔵の名物「松井江」の拵として知られる朱塗鞘打刀拵。これには「長岡式部少輔」と書かれており、松井家歴代で長岡式部少輔を名乗ったのは2人、2代興長と3代寄之です。だからこの2人のどちらかがこの鞘の持ち主、もとい松井江に鞘を用意してまで所有していた人物、となるんだけど……

初代康之1550-1612(63歳没)
2代興長1582-1661(80歳没)
3代寄之1616-1666(51歳没)

松井江自体は、初代康之が徳川家に献上したことになっているんですよね。そうなると1612年までに鞘を作ってなきゃいけないから、16年生まれの3代寄之だとちょっと難しいんじゃないかしら。いや、刀身を献上しちゃった後に拵だけカスタマイズすることってあるのかな?そうだとしたら寄之のでも変じゃないんだけど、そういうことってやってたのかな、どうなんだろ。

また拵自体も桃山〜江戸初期の古式なデザイン(小柄・笄を入れるところがない)ということで、そういう面でも1世代上の興長の方が「朱鞘の持ち主」として無理がない感じがしますね。もちろんお父さん世代のレトロデザインのものを作ったということもあり得るし、拵自体はもっと前からあって、名前だけ自分のを入れたってこともあるだろうけども。

参考:松井家略系図 | 八代市立博物館未来の森ミュージアム

島原の乱と松井家

このダブル「長岡式部少輔」、もとい興長・寄之はともに島原の乱に出陣しています。興長が43歳、寄之が20歳くらいの時で、若者真っ盛りであった寄之は細川先鋒隊の指揮を担い、細川の本丸一番乗りに貢献しました。

「陳佐左衛門指出」という書状が展示されているんですが、これは細川家家臣による「戦での俺の働き報告書」。ここに「天草四郎を討ち取った」ということも書かれており、細川家・松井家が島原の乱のまさにど真ん中に関わっていたことがよくわかります。

武将の備え〜八代城主松井家の武器と武具〜 八代市立博物館未来の森ミュージアム

そして有名な赤黒の陣羽織(緋黒羅紗段替陣羽織)。これは興長が徳川家光にご褒美としてもらったものなんですが(だから葵紋がついてる)、この「ご褒美をもらった」というのが1636年。島原の乱の前年なんです。なんかそんな、そんなスパンの出来事だったのか……と今更ながら再確認した感じでした。

すごいぞ、復元陣羽織

ところでこの緋黒羅紗段替陣羽織、復元品が「着て記念写真撮ってね〜!」のコーナーに用意されています。小物とかも松井興長の肖像画に合わせてあるので、松井興長なりきり写真が撮れるようになっています。

で、おもれ〜のが、この復元陣羽織は「縫い方から柄の出し方までこだわって作った、コロナ禍休館中の手作り品」ってこと。

武将の備え〜八代城主松井家の武器と武具〜 八代市立博物館未来の森ミュージアム

「復元制作に至ったなが〜い物語」はPDFでも公開されてます。マジック書きの段ボールから出てきたってのもびっくりなんだけど、

「当館内に秘密裏に結成した特命チームが原寸大で復元」

武将の備え〜八代城主松井家の武器と武具〜 八代市立博物館未来の森ミュージアム

「令和3年4月23日、春季特別展覧会として、『八代城主松井家の武器と武具』が開幕しましたが、翌日、コロナ感染リスクレベルの引き上げにより、休館となり、展覧会場監視員の方々には、いつ開館してもいいよう事務所待機をお願いし、その間、さまざまな裏方作業に従事していただきました。そのうち、もっとも無謀なオーダーが、この陣羽織の復元制作でした

監視員さんが作ったんか〜い!!!秘密裏に結成された特命チームなんか〜い!!!

それを知った上で見てみると、まあすごいの。

武将の備え〜八代城主松井家の武器と武具〜 八代市立博物館未来の森ミュージアム

ちくちく手縫いだし、

武将の備え〜八代城主松井家の武器と武具〜 八代市立博物館未来の森ミュージアム

刺繍もすごいし!

す、すごい、なんておもしれー職場なんだ……

武将の備え〜八代城主松井家の武器と武具〜 八代市立博物館未来の森ミュージアム

館長(松井家ご当主)がモデルを務めてるしよ。

刀剣は14振り展示

朱鞘や陣羽織のほかにも、刀剣は14振りほど展示されています。「松井家の刀は実用性の高いものが多い」とキャプションにもあったんですが、確かに華美なものはあまりなかったですね。

ただ全体として刃文があまり良く見えない印象でした。かがむと見えるものもあるんだけど、そうじゃないものもある。もしかしたら元からそういう刀なのかな、と思わんでもないんだけど……そういう意味でも「華美さ」はあまりなかったなと思います。

その一方で、拵は粋なものが多かったなあと思います!細川忠興が創出した肥後拵がそのもっともたるものだけど、派手じゃないけどおしゃれなやつ、着物でいうとこの江戸小紋みたいなのが多い……ってイメージ。あと肥後金工が関わっている作品も多く、地域性を感じました。

※江戸小紋:すごく細かい水玉とかの柄で、遠目で見ると無地に見えるようなもの。無地の方が格が高くてフォーマル向けなんだけど、江戸小紋はゆうて小紋(カジュアル着)でもあるので、カジュアルにもちょっとしたフォーマルでも使って良い、ってことになってる。

武将の備え〜八代城主松井家の武器と武具〜 八代市立博物館未来の森ミュージアム

印象的だった刀は「脇指 無銘 清光」。加賀の清光ではなく、室町時代・備前長船の清光です。ものうちからきっさきにかけてザラついたような感じがあって、美術刀としてはあまり良くない特徴なんだろうけど、わたしの目には銀の砂を散らしたように見えて好きでした。あと刀身に「月前梅花如何処處不清光」と彫られているのも、春の夜の冷たい、でも花の香りがするような空気感を一気に持ってきてくれてよかった。

常設の展示も合わせてみて回って、所要時間は1時間半ほどでした。

展示品一覧
展示概要ページ

松浜軒

松浜軒

博物館の後は、道を挟んだところにある「松浜軒(しょうひんけん)」へ。3代寄之の子・直之がお母さんのために作ったお茶屋とお庭です。

松浜軒

現在は街中にある小さなお庭とお屋敷ですが、当時は松浜軒は海岸線沿い、まさに「松浜」の名前に相応しい場所だったようです。

八代城について 八代市立博物館未来の森ミュージアム

八代市立博物館未来の森ミュージアム 常設展示より

松浜軒

松浜軒

瓦には細川の九曜紋と、松井の三枚笹紋。

松浜軒

建物には入れませんが、池の周りをぐるりと散歩することができます。緑が濃くて気持ちよい場所です。

松浜軒

松浜軒

敷地内にお稲荷さんがあるんですけど、「松井家の参勤交代ではいつも護衛の侍が1人多くて、狐の代表が1匹護衛に加わっていたと言われる」ってエピが可愛くてよかった。

松浜軒

松井神社

松井神社

松浜軒を見終えたら、すぐそこにある松井神社へ。ここは昔八代城の北の丸だった場所で、細川忠興(三斎)お手植えと伝わる臥龍梅があります。

松井神社

松井神社

柵があって近づけないのでろくな写真が撮れませんが、すごく老いた木ということはわかる……だって忠興存命中から生きてるんなら樹齢380年とかでしょ?これがいつか枯れてしまった時、きっとそれに行き合った人はすごく寂しいんだろうな。

松井神社

松井神社は初代康之と2代興長を祭神とする神社。そんなに広い神社ではありません。

松井神社

そのお向かいには、石垣がそびえ立っています。

松井神社

八代城跡

八代城跡

八代城は、実は今の場所が「3代目」です。

初代は天正15年(1587)、九州に進軍していた豊臣秀吉が八代滞在中に建てた山城。これは現在「古麓城跡」と呼ばれ、だいぶ山の方にあります。

次に建てられたのは1586年、小西行長によるもの。これは麦島城跡と呼ばれ、現在の八代城跡から徒歩20分くらいの場所に位置しています。小西行長ののち加藤氏が城を引き継ぎましたが、1519年の地震で倒壊し、現在の場所に城を建て替えました。

加藤氏にかわって入城したのは細川忠興。ここで晩年を過ごしました。

なお歌仙兼定の伝承について「隠居した忠興だが、息子の治世が気に入らず、家臣を呼び寄せて手打ちにした」とあるので、この八代城は「歌仙兼定がうまれた場所」とも言えるかもしれません(そもそもその伝承の信憑性が……って話もあるけども)。

八代城跡

忠興の死後、八代城を任されたのが松井家。そこから明治までの期間を治めてきましたが、明治に廃城となり、今では石垣などが残る程度となりました。敷地内は公園として整備され、八代宮という神社が鎮座しています。

八代城跡

絵馬が那須与一?だった。八代って平家が落ち延びてきた伝説も残っているので、その関係なのかなと思います(平家関連はかなり山の方だったので今回は訪問してません)。

八代城跡

そして鳥居から続く立派な表参道を行った先で、やっと「城下町」っぽさを感じることができました。

本町アーケード

本町

表参道を歩いた先にあったのは本町のアーケード街。というのも、むかし港があったのは海じゃなくて球磨川沿いだったようなんです。

https://www.kinasse-yatsushiro.jp/honmachi/surroundings/img/map.pdf

本町・通町商店街公式サイトより

海岸線がだいぶ近かったはずだから、川といっても河口、海からちょっと入ったとこ、って感じだったんでしょう。その港からお城にかけての範囲が当時のメインエリアで、本町アーケードがあるのもこのあたり。

駅から歩いてきた道は、お城の背中がわ、上記の「メインエリア」から外れた区域でした。そりゃあ「城下町っぽさ」がないわけだ。う〜ん、歩いた甲斐があった!

本町

本町

往時は賑わってただろうな、って感じのアーケードを抜けると「ザ・田舎のメインストリート」な道に。

地方都市のメインストリート

全国どこにでもあるこういう道、平凡で平凡すぎて愛してるよ(静岡県だったらこういう道にさわやかがあります)。

ジョリーパスタの角を曲がると八代駅前。結局行きと同様に歩いて戻って、八代を後にしました。

旅先で真っ昼間に飲む酒が一番うめえのよ

HERO海

熊本駅に戻ったのは15時ちょっと前。お昼食べてなかったし、馬肉食べたいな〜!と思ってたので熊本駅ナカのお店HERO海でごはん……もとい酒盛りをやることにしました。旅先で真っ昼間に飲む酒が一番うめえんだよ。

HERO海

よくわかんねえけど阿蘇の酒。昨日(「阿蘇パノラマドライブ 阿蘇神社から通潤橋まで」)は車だから飲めませんでしたしね。

HERO海

馬肉盛り合わせ!「発祥は諸説あるが、熊本藩の初代藩主の加藤清正が朝鮮出兵した際、朝鮮半島で食料がなくなり、しかたなく軍馬を食べたところ、大変美味しかったので帰国後も馬刺しや馬肉を好んで食べたというのが始まりといわれる」とのことです。ありがとう清正公、馬ヒモうまい。

うちの郷土料理 | 農林水産省

お酒飲みきれなかったので、追加で辛子蓮根と揚げいわしかまぼこを投入。

HERO海

辛子蓮根は前にも食べたことあったんですけど、お店で食べると美味しいですね……!揚げたて!甘いお醤油と合わせるのも美味しい。

HERO海

あと1本丸ごとで出してくれるので、はじっこちゃんもあるんです。はじっこちゃん美味しい。いわしかまぼこは天草の漁師町「牛深」の名物だそうで、しっかりした食感があってこちらも美味しかったです。

八代への日帰り旅

八代市立博物館未来の森ミュージアム

熊本駅を起点にすると、八代は日の高いうちに帰ってこれるくらいの距離。未来の森ミュージアムの展示「武将の備え~八代城主松井家の武器と武具~」は2024年3月24日までです。熊本県立美術館で開催中の「土方歳三資料館×肥後熊本藩」も3月24日までですので、合わせて訪れると良いかもしれません。

なお「土方歳三資料館×肥後熊本藩」では現在刀剣類を一時的に撤収しているそうです。こちらに関しては随時公式情報をお確かめください(わたしギリギリのところで滑り込んで見たんだな……)。

という、八代旅の日記でした。ここまで読んでいただいてありがとうございました!

武将の備え〜八代城主松井家の武器と武具〜 八代市立博物館未来の森ミュージアム

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