石切劔箭神社

「いつもの」春の旅~開花率40%の石切劔箭神社・薬師寺行ったよレポ~

審神者業も5年目のいざなみです。
5年目ともなると毎年恒例行事が出てきてこなれてきますね。
今年も大坂・奈良へ春を浴びに行ってきました!

▼2017年4月

▼2018年3月

3月30日時点では刀剣乱舞実装刀剣の展示はなかったのですが、だって春ですから!桜もう咲いてますから!
旅しなきゃ!!

そんな気持ちで、大坂の石切劔箭神社奈良の薬師寺にさらっと行ってきました。
来週あたりから展示がはじまるから予習にでもしてね。

というわけで、2019年3月30日(土)、朝6時の品川発新幹線。
京都で降りて向かった先は新石切駅。

石切

東京もう桜だいぶ咲いてるから「行かなきゃ!」って急いで来たんですけど
木蓮がまだ残っているということはまだ桜は満開ではないですねとこの時点で察しました。
最近見た「木蓮は桜の露払い」というツイートがとても素敵だったのでずっと覚えています。

石切劔箭神社

石切劔箭神社(石切さん)

9時半ごろ到着し、お参りをしてから神社の奥のとこへ。

石切 桜
 

これは去年の写真ですけどね。もうきらっきらの場所なんです。
今年はまだちょっと早かったです。

桜 石切劔箭神社
石切劔箭神社 馬

神馬さんもいるんですよ。
写真を撮るのに満足したらまた境内に戻ってお百度参りしました。

石切劔箭神社(石切さん) / お百度とは何ですか?

9:58スタート、10:51に終了しました。
父が病気してからは石切さんに行くたびにお百度参りするようになったんですけど(その前はとくに願うようなことなんてなかったし)、だからといって百回お参りしたから願いが叶うなんて思ってなくて、瞑想というか自分の輪郭をくっきりさせるための儀式というか、そういうものだと思ってやっています。

とかいいつつぐるぐるしながら
「神頼みが許されるのはお天気のことくらいだろ、神様ひかりください(写真のために)、青空ほしいです」
って思ってたら雨一歩手前の曇り空がそのお百度してる間だけ晴れて「うそーん!!」って思いました。
お百度終わってまた写真撮るぞ!ってなった時にはまたくもりに戻ってたので
いけずー!!って笑っちゃった。

石切劔箭神社
石切劔箭神社 春の宝物館公開
石切劔箭神社(石切さん) / 春の宝物館公開のお知らせ

石切さんでは再来週から刀剣の展示が始まります。
これまでにない長期の展示ですから、あんまり混まないで見られるかもですね。

また、刀剣乱舞ともタッグを組んだ「刀剣奉納プロジェクト」が発足しています。

創建2677年 石切劔箭神社 「刀剣奉納」プロジェクト – CAMPFIRE (キャンプファイヤー)

Twitterで見た色んなツイートのつぎはぎなんですが、神様に奉納するものは「うぶ」であることが良いとされるのであえて新しく作りたい、という点とか、「石切丸」を奉納してしまうと「宗教のもの」となるため税金がかからなくなり、税金がかからないことと引き換えに商業的なところへの出展が難しくなってしまう、という点とか、そういうのを加味したうえでスタートしたプロジェクトかも…というやつです(何を言いたいのかわからなくなってきた)。

もう目標額は達成しているのですが、5/15までは支援ができるので、「この『祭り』に加わりたい!」って人はまだ間に合います!よ!

一時間弱歩いてくたくたになったので、新石切駅に戻る途中にあるearly’s cafeへ。

アーリーズカフェ (Early’s cafe) – 新石切/カフェ [食べログ]

アーリーズカフェ

神社の真正面にあるすずやさんが審神者ネットワークでは名高いかと思うんですが、わたしはこっちでおやつを食べることが多いかも。

アーリーズカフェ

スコーンが安いのに美味しいんですよね…
いつもはコーヒーなんですが、今回はチャイとスコーンのセットで650円でした。

新石切駅

12時すぎくらいに石切を後にして、今度は薬師寺へ。

薬師寺 噂の刀展Ⅳ

今年もやってます、噂の刀展!

薬師寺 噂の刀展Ⅳ
特別公開「噂の刀展Ⅳ」について – 奈良薬師寺 公式サイト|Yakushiji Temple Official Web Site

「噂の刀展」は3月19~4月21日なのですが、4月2日~4日の3日間限定で大倶利伽羅・乱藤四郎等が展示される、特別展示が開催されます。

一般財団法人 日本刀剣博物技術研究財団

新石切を12時過ぎに出て、薬師寺に着いたのは13時ごろでした。
鈍行で十分はしごできるやで!
ってことをお伝えできれば今回の記事はおっけーです。

まあ特別展示の3日間と石切さんの特別展示とが被ってたらもっと声を大にして「いけるやで!!」って言えたんだけど…
それでも、刀のお勉強するには噂の刀展はめっちゃいいんで、どうぞはしごして知識深めてくだされというきもち…

▼去年の夏の仙台での展示の時の記事。この記事割と評判よかったですね。桃が。

財団さんの展示は「平易な文章で解説することで次代の刀剣愛好者を育成する」という方向性がはっきりしているので本当に毎回ふむふむと(鑑賞というより)勉強ができる展示になっているのですが、今回はしょっぱなの「刃文のサンプル」を見せるための展示で出ていた刀が角津田と丸津田の助広だったりしたのでしょっぱなからクライマックスでした(わたしが)(助広推し)。

いつものように気になったもの箇条書きピックアップしていきますね!

●正恒と安綱

正恒は古備前派を代表する刀工で、1000年くらい前の人。
今回の展示のキャプションで、備前(岡山)の正恒が伯耆(鳥取)の安綱のところまで山を越えて泊りがけで刀を作りに行ってた話に触れていて興味深かったです。

正恒はそもそもは奥州の刀工・有正の子と言われていて、だから奥州の作刀技術を持っていたと考えられます。
それがなんやかんやで岡山まで来て、安綱と交流していた。
つまりそこで西と東の文化交流が起こっていたということ。

今でさえ東北に行くのはちょっと大仕事だなという感じがあるのに
千年前にそんな大変な旅をして、山を越えて同業者に会いに行き刀を作るって、
それはなんて過酷な生き方だったんでしょうね。
「人」としての刀工の姿が透けて見えてくると、なんだかしんしんといっぱい考えてしまいます。
(薬師寺って三蔵法師の旅とか遣唐使の旅の絵とかも展示されてるから余計ね…)

●国俊(二字国俊)刀 徳川将軍家伝来

愛染国俊などの作者と同じ国俊ですね(二代説もあるけどそれは置いといて)(愛染国俊見たいです先生)

京のかたな展の時にニコ生の解説などで「来」という名前の由来について、
「従来は朝鮮半島や中国から来た人々なのでそちらの苗字が来だったのではないかという説があった」
→「当時の朝鮮半島に来という苗字が見つからない」
→「当時すでに一大ブランドだった粟田口派に対抗するために舶来品として箔をつける戦略を取った」
→「だから『来』なのでは?」
という話があったのですが、

今回のキャプションでは「京から遠い九州、四国、関東、東北から来た人なのではないか?」という説が出ていたので、なるほどそれもあるかー!と興味深かったです。

ノート 国俊

刀自体ももりだくさんな刃文で面白かったですよ。
足や葉がいっぱい入っているけれど、肌のうねうねを追っていくとそれが刃文にも混じっていって
どこまでがなんなんだかよくわかんなくなっちゃう、目が回っちゃうような感じが面白かった。

●保昌 刀 鎌倉末

和伝がずらっと並んでいるところで、きっさきを見て「保昌かな?」って思ったやつが保昌だったのでうれしかったです。

東京国立博物館 保昌貞吉(号 大保昌)
東京国立博物館 保昌貞吉(号 大保昌)

つい最近も「保昌だ!わかる!」ってなったばっかだったので「なんだろなわたし…保昌知りたいけどよくわからん期あったのが嘘のよう…」ってなってます(きっとたまたま)。

ノート 帽子

わたしは今回展示されてた保昌、はきかけのきっさきだと思ったんですけど
キャプションにはやきつめって書いてあったんですよね。
物打ちのあたりに二重刃が見える、とあったので、その二重刃がはきかけに見えたのかなとは思うんですけど、でも物打ちってそんな先の方まで物打ちに入っちゃうの…?もっと下じゃない…?
みたいな疑問があったりする。
まあ刀剣用語って案外色んなとこがふんわりしてますからね…
同じものを指して同じような表現をしているということが確認できれば細かいことはいいのかな…

ちなみに「保昌もっと知りたい期」があったのは刀剣乱舞で物吉貞宗が実装された当初、入手画面で刀派が「保昌」と表示されるバグがあったらしいというのを聞いているからです。

そのうち実装されないかな保昌…
くるならトーハクの大保昌がいいな…
なんか呼びにくそうだけど…

●いつもの正宗

ノート 道芝乃露 正宗

財団さんの展示でいつもいる正宗ですね。
初めて見たころは「大坂夏の陣で秀頼から下賜された…?は…?」ってサイレント号泣していたものでしたが、もうこれだけ顔なじみになってしまったのでずいぶん慣れました。
なんでサイレント号泣していたのかはわたしのアイコンを見て納得してください。

わたしの「正宗のココがイイ!」が定まってきたの割と最近なんですが、正宗は川の水がいつの間にか海の水と混じっているような、冬がいつのまにか春になっているような、そういう分かれ目がはっきりしていない、「地鉄の模様と刃文のマリアージュ」がいいと思ってて、それがこの正宗にはあんまりないんだなって思いました。
刃文と肌がぱきっと分かれている、というか…

きっさきあたりの刃文のポコポコがすごく特徴的ですよね、だからこそ「いつもの!」って印象に残りやすいんですが。
わたしの思う「正宗のココ」はあんまりない…というのを今回改めて感じました。

●いつものオバケ出ませんでしたの正国

刀もキャプションも「いつもの」なのが愛しい。

●和泉守兼定(之定)刀 銘和泉守藤原兼定 伊勢山田是作 永正十四年二月日

銘の意味は「1517年に伊勢の山田でこの刀つくったよ」ってことなんですが、そこから「当時の村正と文化的交流があったことが推察される」とキャプションにあって、おお!と思いました。

村正 – Wikipedia

(しっかり調べる体力がなくてwikipediaでゴメンねなんだけど)
1517年ごろだと初代村正でよさげかな…?と思うんですが、そもそも村正が関出身という説もあるし、之定が村正っぽいのたれの刃文焼いてたりもします。

兼定展に出ていた香雪美術館蔵の和泉守藤原兼定作/永正十七年八月日(1520)はのたれの刃文でした。
「南北朝頃に始まったのたれ刃、
美濃鍛冶に好かれるようになるのは桃山期まて待たねばならず、本作はその先駆」

と図録にはあります。

歌仙兼定も、刃文は腰でいっぺん山ができるのたれ刃で、方向性的には村正のよくやる刃文と近いんですよね。
でも歌仙は和泉守受領前の作で、

……手元の図録いろいろ引っ張り出して調べてみたんですが、之定と銘を切るようになったのが1500年ごろ、「和泉守」受領前は二字銘作が地元需要向け、濃州関住銘作は地方需要向けに使い分けたとする説がある。
和泉守受領がおそらく1511年、今回展示されている「伊勢で作ったよ」は1517年。

う~ん、歌仙が「村正との技術交流があってその影響でこういう感じになったよ!」ってのがはっきり言えると面白かったんですけど、そこまでは手元の資料じゃよくわかんないですね。
でも歌仙が作られたのが1500~1511のおよそ10年の間だろうし、そのころはもう之定自身もそれなりの地位があったみたいだし、村正の作を見ていて…というのは可能性としてあるって思っていいかもなとか、そういうことを貧弱な知識で考えたりしました。

楽しいね。

●清麿の師 河村壽隆

江戸後期の作なのでそりゃあ新刀らしく綺麗な出来なんですけれど、
1回きりしか使えない特殊アイテムみたいな感じがしてよかったです。

ノート 河村壽隆

すごくきれいな菊花丁子乱れ。
肌も詰んでいて、水晶で鍛えた剣みたいです。

まあそういう「美術品度が高い」という意味でも「1回使ったら終わり」と言えるんですが、そうじゃなくて見た印象という意味でも「1回きり」という感じがしたんですよね。

1回斬ったら、使ったら、その瞬間でパキンと砕け散ってしまうような。
たぶんその砕け散る様子もすごくきれいで、虹をばら撒いて1回きりの役目を終えるみたいな。

端的に言うと十二国記シリーズの丕緒の鳥のイメージだったんですけど。

丕緒の鳥 (ひしょのとり) 十二国記 5 (新潮文庫) | 小野 不由美, 山田 章博 |本 | 通販 | Amazon

(明日新元号発表ですね。新元号は赤楽がいいです)

あとは伝沖田総司所持の手柄山正繁とか(突きにはこういう反りの少ないのが良かったんじゃないかって読んで納得した)、あいかわらず肌はあんまりきれいじゃないけれど刃文のふちがきらきら海辺みたいで好きないつもの清光とか。

ずいぶん顔見知りの刀もあるんですが、新しく見る刀も多くて何度来てもマンネリということはないし、同じテーマを反復して見ることで理解が深まりますね。

大倶利伽羅・乱藤四郎の展示を狙って来たい!というのもよくわかるんですが
「その日無理…」って人は特別展示じゃなくても来てみてほしいなってすごく思います。
勉強に…なるんですよ…!

いやたぶん割と刀見てるほうのわたしだって来るたびに「なるほど…!」ってなるし、前見たときは「ふーん」で流し見だったのが今回になって「あっこれ…!?」ってなったりするし。

流し見でいいんですよ!
今はそれがしっかり染みこむタイミングじゃなかったってことだから!
なにか別のタイミングで「あっこれって…!?」って知識の点と点が繋がったりするし、だからゆるく長くの楽しみ方でも全然…いいと思うの……

Q:(何が言いたいの?)
A:(わかんなくなってきた)

薬師寺

刀の展示室には13時ごろに入って14:30ごろに出ました。
割とすいてる日でこのくらいの所要時間です。ご参考にどうぞ。

終わって出たら雨が降ってたんですが、雨ざらしになりながら薬師寺をふらふら歩きました。
桜はたぶん、特別展示のときちょうどよく咲いていると思います。

薬師寺

南の門から出て、お稲荷さんのあるあたりを歩きます。

Google マップ

薬師寺 踏切

この踏切には毎年来てしまいます。まだ満足のいく写真が撮れたことがないのだけれど。

薬師寺 踏切
薬師寺 踏切
薬師寺 踏切

踏切が上がったら、いないはずのものが立っていたりしないかなって
そんなファンタジー起こったりしないかなって、ちょっと期待して待っていたりするんですけれど

いつもそういうことは起こらないです。

イメージカット 桜 薬師寺
イメージカット 桜 薬師寺
木蓮

踏切を渡って少し行ったところにある、Cafe Re:Comoへ。

Cafe Re: Como

これまで入ったことなかったんですが、
Twitterの審神者ネットワークで耳に入ったので今回初めて行ってみました。

Cafe Re: Como

デザートセット780円。

たぶんたまたまタイミングが良かったんだと思いますが、「余ってますしよかったらどうぞ」とコーヒーおかわりくれたりしました。
マスターさんには審神者だってバレてるし(レジで「刀見に来たんですか?」って聞かれた)、足利のそれと近いぬくもりを感じました。
お食事もおいしそうだったな。また来たいです。

▼今回の旅のBGMだった曲

ケーキ休憩をし終わったところで17時ごろ。
ほんとは去年と同じように大阪城でめそめそしてから帰ろうかなと思ってたんですが、雨だしくたびれちゃったし、今回はここから京都駅へ戻って、京都で柿の葉寿司買って新幹線で帰りました。

イメージカット 桜 薬師寺

という、春の旅でした!
来週再来週の展示に桜がちょうど良さそうだし、
これから旅する人の何かの足しになっていたらいいなあという思いです!

それでは、ここまで読んでくださってありがとうございました!

さーて玉集めしよ!!

大阪城でより効果的にめそめそするための本などがあります!まだあります!

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